平成の日本に帰ってきて、最初はちょっと大手の日本語学校で非常勤講師となりました。
時給制で日本語を教えました。
ここに入れたのは、実は海外で教えていた時の現地の上司が推薦書を書いてくれたからです。キリスト教系の組織だったので、私のようなクリスチャンが、キリスト教の組織で働いたらきっといいだろうと思って書いてくれたのだと思います。
今思えば、その人の気持ちもあったのだから、そのままずっとそこで働き続ければよかったのに…という気持ちもあります。
神様の御心は、わかりません。
とにかく非常勤講師で極貧生活でした。
日本語学校は年間通じると結構休みが多く、すると常勤講師以外は収入に響くんですよね。当時、一年平均で自分の収入を計算したら、月12万円平均でした。
いくら昔でも、それでは生活は成り立ちませんでしたから、冬休み夏休みその他、長期休暇にはバイトをしました。
引っ越し屋さんとか。
でも、本当に貧乏な時代で、友達にも野菜をもらったり、朝ごはんは学校で、誰かからお土産でもらったカステラだったりしました。
私ほどじゃないにしても、ほかにも若くて非常勤で貧しい先生もいました。そういう先生と、よくため息をついたものです。
で、2年がもうすぐ終わろうとする時、主任の先生が「新しい日本語学校で専任になりたい人はいるかな?」って呼びかけがあって、それに手をあげました。
手をあげていいかどうか、結構祈ったと思います。
でも、自分の中にも、天からも何の返答もありませんでした。
…食べてけないんだから、ともかく前に進みました。
不信仰だったのかもしれません。
もしそのままその学校で続けていたら、きっとその後専任にもなれただろうし、今頃は主任だった可能性もなきにしもあらずです。
もうかれこれ30年ほど前のことです。
その後の人生で出会った人たちとのあれこれ、転職してなかったらなかったんだから、今さら別の人生は考えられません。
でも、クリスチャンとして、どうだったかな…。
もしももう一度やり直せるなら、動かずにそのまま続けることを選択するだろうと思います。
極貧生活にどれだけ耐えられるかにもよりますが…
仔羊おばさん