聖書には旧約聖書と呼ばれるものと新約聖書と呼ばれるものがある。
というのは「聖書初心者向け」の説明ですが、このブログに迷い込んだ方にはたぶんそんな説明は無用でしょう。
旧約にも新約にも、ワタクシには「ここ、ほんま面白くないなー」と思う聖書の個所が結構あります。
列王記Ⅱの最初のほうは「預言者エリシャ」が出てきて、それなりに面白いのですが、14章あたりからは、それこそ「歴代の王」たちが出てきて、なんか表現もたるくなり、ほんと面白くない記述に思っていました。
ずっと。
しかし、50代も半ばを過ぎ、体調的にも「感謝、感謝」の時期を過ぎてしまい、
特に更年期を過ぎたあたりからは「寝られない」とか「いらいらする」とかいう感情に悩まされるようにもなりました。
それは、心の変化でもあり体調の変化でもあり、
信仰心の変化でもあり、とにかく変わってきています。
なんか、不可抗力みたいなもんで、ワタクシは「人間の限界」みたいなものを感じています。
ある時までは、人生感謝しかなかったと思う。
でも今はなんか、この人生の深い後悔とか、失望とかが心にある。
でも、やり直せないし、「じゃあ、もう一回戻れるなら戻る?」と聞かれても、正直、しんどすぎて戻りたいという気持ちになれない。
(それくらい、40代はしんどかった)
今、このかったるかった「列王記Ⅱ」が、意外にも面白い。
なんと歴代の王たちは
主の目にかなうことを行ったり
主の目の前に悪を行ったり
するのだ!
え?
それが何が面白いのかって?
うーん。
なんか、今はそれが面白いと思う…。
「人間を感じる」と言うのだろうか…。
(;^ω^)
同病相哀れむ
という心理なのか…
ともかく
王様は良かったり悪かったりする。
なんか、トランプ大統領のニュースとか聞いてると、しょせん人は似たようなもんかと思ったりもする。
各国の首脳も
手が震えただどーの、
若いねーちゃんと結婚しただどーの
政治以外のとこでいろいろ言われたりする。
なんかそういうのとリンクしておもろい、と感じるのだ。
結論。
人生の機微がわかってくると「列王記Ⅱ」はおもろい。
仔羊おばさん