度々司会であることを忘れるであろう私に、「司会を頼まれた」という事実が物語る。「我が教会には人材が不足している」という事実が。
まずは、信徒が少ない。
そして、一部の信徒、とか長老とか執事さんとかに奉仕が集中する。
その中で、そういう役職の方と牧師あるいは牧師婦人あたりと摩擦が起きたりする。
教会を離れる。
という、ちょっとした悪循環を私は感じます。
私だって、日曜学校の奉仕をしていた時は、本当に辛くて、もう教会に行くのをやめようかと考えたことがありました。いや「考えた」んじゃなくて、もうあれ以上「行けなかった」。世の中も教会も真っ暗に見え、命がもたないようなカンジでした。
その奉仕を外してもらってしばらくしても、まだ真っ暗でした。
それくらい深刻でした。
あれから3-4年経ちますか。仕事も変わって、最近、ようやくその「黒い雲」がなくなってきた気がします。
精神的な、心理的な「息詰まり」は自分でどうこうできるものでもなく、祈りつつ苦しみ続ける毎日でした。そして教会に行くとまたその暗雲がぶり返すので、また祈りつつ…と過ごしていました。
私は幸い、配慮を受けて奉仕を外してもらえたのですが、もしもあのまま続行だったら、今頃はもう他の教会に行っていると思います。
教会生活の現実です。
仔羊