風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

1974年(昭和49年)・春

 1974年、春。私はとあるミッションスクールの中学に進学し、一クラス50人、という今では考えられないすし詰めの教室に座っていた。

 次は、「宗教」という科目。ミッションスクールなので「道徳」科目はなく、代わりに(?)「宗教」というのがあった。でも、何をするのか皆目見当もつかない。

 すると、教室前、右手にある入り口から一人の外国人ー西洋人が入室してきた。おばあさん、と言っていい白髪。

 そのおばあさんは、出席をとると(日本語話せた)、私たちに一枚の絵を見せた。

大きな穴の前に、大きな岩の絵だった。

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 その「ベイカー」という名前のおばあさん先生は、私の学校に来てもう何十年になる宣教師の先生だった。先生は戦前日本に宣教師としてやってきて、戦争中は日本にいられず帰国して、戦争が終わったらまた日本に戻ってきて、私たちの学校で英語と「宗教」を教えておられた。

 先生は言った。

「これはお墓です。私たちの主、イエス・キリスト様が墓に葬られ、マリアさんたちがそのお墓に行ってみると、お墓を閉じていた大きな、大きな岩が転がされて、このように墓の中が見えていました。イエス様は、復活されたのです。」

 私は、もう口あんぐりでした。クラスのみんなもしん、と黙り込んでいたと思います。

 外国人が、変なアクセントで日本語を話している。

 「墓」と言われても穴にしか見えない。

 「岩」なんか違和感が。

 中学って科学を教えるとこじゃないの?この先生は、本当にそんなことを信じているの?学校で、こんなうそかほんとかもわからんようなことを教えていいの?しかもここって、一応試験をして、合格になった人だけが通ってるんですけど。

 私はあまりに「非科学的」なことを先生が話していたので、結構がっくりした。

 期待が打ち破られた瞬間だった。

 クラスもしん、としていたが、私の心もしん、とした。

 

 当時、「イースター」という言葉は、庶民の間にはなかった。そんな風習は外国のものだった。私のようなごく一般的な家庭で育った者に、卵もうさぎもなかった。キリストの復活も聞いたこともなく、そもそも聞いたってただ口をあけて「はあ?」と疑問符が飛んだだけだった。

 この話ならまだ、孫悟空が筋斗雲に乗って空飛ぶ話の方が現実味があった。

 今思えば、それが私とキリスト教の出会いだった。

 私の人生で洗礼を受け、クリスチャンになったことほど大きい転機はない。

 だけど、私が洗礼に至るには、この中学での体験からまだ、12年かかる。

 次回は、そのことを書きたい。それも、ものすごく大きな私の「転機」だから。

 だけど、私が受洗した時、ベイカー先生はこの世にはいなかった。

 私たちの「宗教」の時間、そして「英会話」の時間を担当されて、1,2年で先生は帰国され、その後1、2年で「亡くなった」という知らせが私たちの学校にやってきた。とすると、私たちは先生の最後の教え子になる。

 

 いつか天国で再会できたら、先生に聞いてみたい。

 先生はどうして宣教師になったの?

 先生には、一体、どんな転機があったの?と。

 仔羊