別に毎晩見ているわけではないのですが、
「白い巨塔」は何度見ても面白い。
唐沢寿明と江口洋介の出てた、前回のシリーズは記憶にも新しい。
今回のもスマホを登場人物が持ってたりして、そのあたりが現代的だけど、人間のどろどろはほんまに見てて、ストーリーをもう知ってるのに、はらはらする。
今回のシリーズを見ていて、一つ発見があった。
それは、出世欲のある財前と、医療の理想にまい進する里見先生(なぜか「先生」つけちゃう)が、なんでだかいい友人関で、それぞれ何となくお互いを捨てがたい存在として見てるところだ。
もちろん、こういう小説を構築する時に、対照的な人物を配置するのは作家の意図があるんだろうけど、見てるこっち側にさほどの違和感が生じないのは、実は財前の中に里見の純粋さがどっかにあって、里見先生にはそれが通じてる感があるからだと思う。
聖書を読んでいても、たまには「あれ?」と思うのだ。
先日は「使徒の働き」に出てくる、アナニアとサッピラ(夫婦の人名です)のストーリーを読んでて、そんなに金銭が好きやったらクリスチャンと付き合わんでもいいのに、なぜか彼らも教会のメンバーだったことに「あれ?」と思った。
そもそも、あくどい人間の中にも「善良」が、一見いい人のように見えてもその人の中に「どろどろ」が、隠れているものなのだろうと思う。
義人はいない。
一人もいない。
って聖書にも書いてあるもんね。
そういうわけで、もちろんこの仔羊おばばの中にも「どろどろ」があって、それをぽちぽち綴っておるわけであります…。
仔羊おばさん