このブログは、教会生活のあれやこれや
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などについて書いているブログです。
ワタクシは24歳の時に洗礼を受けました。
我が家は誰も「クリスチャン」と呼ばれる人はいませんでした。
しかし、ワタクシが「洗礼受ける」と言った時、父親、母親は反対はせず、洗礼式の日、教会に来てくれました。
でも、カトリックのようなステンドグラスやパイプオルガンを期待していたようで、
洗礼式のあとで、クリスチャンになることに反対されました。
礼拝してる人たちの様子も不満だったみたい。
で、それからかなり逆風だったな。
それがクリスチャンライフのスタートの頃で、
父が亡くなる頃には、もうあきらめてたみたいだけど、
教会に来ようとはしなかった。
ミッションスクールへの進学を勧めたのは父だったのに。
学校に行くことと
教会に行くことと
洗礼を受けることと
本当に信じることはそれぞれ違う意味を持っていたんだな、父にとって。
そして、荘厳な感じの教会ならよかったんだ。
私はなぜだかずっと信仰を捨てずに今日まできている。
家族の反対があったことが、かえって自分の進行をハッキリさせる作用になったのかなと思う。
( ̄ー ̄)
亡くなるちょっと前、一回だけ祈ることができた。
でも、お葬式は仏教だったし、私には深い後悔が残っている。
仔羊おばさん