風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

教会改革について⑤

さて、教会で牧師さんのメッセージを聞いたり、聖歌を歌ったりなどするくらいのことなら、誰でもそう抵抗はないかなと思う。

それで済むなら、日曜に教会に通うことはそこそこ楽しいのではないだろうか。

 

ワタクシは、洗礼を受けた後、教会を離れる方は大抵が献金が理由なのではないかと思う。

これは、ワタクシがケチだからそう思う、のではなく実際、そうなんじゃないかと思う。

時間と金銭を宗教に奉げることについて、抵抗を覚える人は少なくないのじゃないかな。

こういうワタクシは、若い時に洗礼を受けたせいか何なのか、あまり献金に抵抗を覚えなかった。

でも、うちの夫はものすごくそれを嫌がってたし、実際、洗礼も受けていないのは

1.牧師婦人が気に入らない

2.献金が嫌

だとはっきり言っていた(結婚したころ)。

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さて、これをどう改革するのか、については「これ」というものはない。

ただ、一つは週報などに献金をささげたメンバーの名前は明記する、というのはできることかと思う。

そうすると教会に来た時に「献金がある」ことが意識できるので洗礼後献金について聞いて、ショックを受けなくて済む。

 

あともう一つは、どこの教会にも出来る事ではないのだが、教会の運営そのものは、主要なメンバーの献金だけでまかない、献金をしないメンバーも教会にいられる仕組みを作る、というのはどうだろうかと思う。

献金を半ば強制しても、お金がない信徒は困るだろうし、いつか献金について目が開かれる時を待つ、くらいの余裕があれば多くの人が教会に通いやすい。

 

多くのメンバーを獲得することが大事なのか?

献金をしてくれる本物の信徒を増やすことが大事なのか?

という問いに対し、どう答えるかの問題だ。

 

私は、聖書は献金どうこうより、一人でも多くの人が救われることを大事にしていると思う。

 

仔羊おばさん