さて、教会で牧師さんのメッセージを聞いたり、聖歌を歌ったりなどするくらいのことなら、誰でもそう抵抗はないかなと思う。
それで済むなら、日曜に教会に通うことはそこそこ楽しいのではないだろうか。
ワタクシは、洗礼を受けた後、教会を離れる方は大抵が献金が理由なのではないかと思う。
これは、ワタクシがケチだからそう思う、のではなく実際、そうなんじゃないかと思う。
時間と金銭を宗教に奉げることについて、抵抗を覚える人は少なくないのじゃないかな。
こういうワタクシは、若い時に洗礼を受けたせいか何なのか、あまり献金に抵抗を覚えなかった。
でも、うちの夫はものすごくそれを嫌がってたし、実際、洗礼も受けていないのは
1.牧師婦人が気に入らない
2.献金が嫌
だとはっきり言っていた(結婚したころ)。
さて、これをどう改革するのか、については「これ」というものはない。
ただ、一つは週報などに献金をささげたメンバーの名前は明記する、というのはできることかと思う。
そうすると教会に来た時に「献金がある」ことが意識できるので洗礼後献金について聞いて、ショックを受けなくて済む。
あともう一つは、どこの教会にも出来る事ではないのだが、教会の運営そのものは、主要なメンバーの献金だけでまかない、献金をしないメンバーも教会にいられる仕組みを作る、というのはどうだろうかと思う。
献金を半ば強制しても、お金がない信徒は困るだろうし、いつか献金について目が開かれる時を待つ、くらいの余裕があれば多くの人が教会に通いやすい。
多くのメンバーを獲得することが大事なのか?
献金をしてくれる本物の信徒を増やすことが大事なのか?
という問いに対し、どう答えるかの問題だ。
私は、聖書は献金どうこうより、一人でも多くの人が救われることを大事にしていると思う。
仔羊おばさん