私の両親はクリスチャンではない。
私は、いわゆる「ミッションスクール」で中学・高校時代を過ごした。
私の通っていた学校はもともとイギリスの宣教師が作った学校で、毎朝礼拝があった。
入学式や卒業式ほか、「式」と名前のつくものは全て礼拝の形。
週に1回「宗教」の時間があった(「道徳」授業はなし)。
体育祭(運動会ですね)の時の国旗掲揚なし、国歌演奏もなかった(6年通った中で1回だけあった)。
礼拝の内容も、毎朝牧師さんが説教をする。
ミッションスクールでも、礼拝の時間に社会問題など考えたり、「講演会」的な内容を盛り込んだりする学校もある中、うちの学校は純粋に信仰生活に関するお話で、み言葉中心。
学生もクリスチャン家庭の子供が他校よりは多かったと思う。それでも、1クラスに1人いるかいないかだった。
卒業生の中で洗礼を受けてクリスチャンになった人はいるにはいるが、たぶん私のクラス(約50人)で2人だと思う。
そんなに少ないクリスチャンだ。
6年あるいは3年メッセージを聞き続けてなお、信じる者がこんなに少ないことは、とても意外なことだが、事実だ。
私自身、洗礼に至ったきっかけは中学時代に宣教師との出会いがあったことだったけど、実際に洗礼などを考えるようになるにはそれから後7年くらいの紆余曲折が必要だった。
「誰でも聖霊によらなければイエスを主であると告白できない」と聖書に書いてある。
それは私の実体験でもある。
洗礼を受け、教会生活をするようになると幸福感はいっぱいで
これが平安というものか!
これが感謝というものか!
と目から鱗の毎日になった。
どうして世間のみなさんは信仰も救いもなしに生きてられるんだろうか?
不思議でならない。
仔羊おばさん