なんと、この不人気ブログの8月の閲覧が100を超えました!
更新もそんなにせず、また、たまに書いても舌足らずで説明も十分でない状態で(いやほんま)、閲覧100越えは恐悦至極に存じます💦
<(_ _)>
さて、「カルトでない」キリスト教の教会のうち、ワタクシはプロテスタントの教会の教会員です。
今日は教会の献金のうち、「十一献金」と呼ばれているものについて説明します。
教会によっては「什器」の「什」の字をあてているところがあるでしょうか?
たまにそんな文字を見かけたりしますが、これは「収入の十分の一」を捧げるものなので、「十一」が正しいと思います……。
収入の十分の一、と聞いてびっくりする方もいるでしょうね。
でも、この数字は旧約聖書に書かれていて、一応聖書的な根拠のある数字です。
また、収入の多い人は額的に多く、少ない人は少なくなるので、フェアな決め方だとも言えます。
しかしさて「収入」って?
どの額?
額面で?
手取りで?
ワタクシ、牧師に確認したことはありません。
それで信者歴もうすぐ30年。
(*ノωノ)
そんないい加減なやつが献金について説明していいのか?
と、疑問の方は牧師に確認してください。
ではワタクシはどう考えて計算してるかと言うと、税金と保険や年金、交通費を差っ引いた額、の十分の一で計算しています。
長年、十一献金はそれだけでした。
夫はクリスチャンじゃないんですが、夫の収入も同様に考えて献金してきました。
ただ、親が亡くなった後、土地を引き継いだのでその賃料が毎月入る、というややこしいことが発生。
しかし、こっちは固定資産税や所得税を計算には入れていません。
賃料があまり大きい額でないのと、月割計算がめんどくさいからです。税金の計算がややこしい。余分目に納める分にはかまわんでしょう。
もともとはなかった収入だし。
この十一献金が原因で教会を離れる方もいますね。
それがワタクシには残念でなりません。
この十一献金は、信者にとっては「献金」ですが、使い道を見ると「教会の運営費」です。
だから、「十一献金」という名前でなくて「会費」だったら受け入れやすいのかもしれません。
教会堂の土地・建物関連の費用、車を持ってる教会だったら車に関する費用、牧師さんへの謝礼=給料、その他信者さんが教会で使う物品に関する費用、伝道に使う費用などに使われます。
収入の十分の一は少ない額でもないんで、ショックを受ける気持ちは理解できます。
私は海外に住んでたことがあるのですが、当地ではこの「十一献金」は礼拝に行ったら配られる「週報」に誰がいくら払ったか明記されていました。
そういうやり方なら、「ああ教会ってそういうところなんだなあ」とわかりますが、日本の教会は(少なくとも私の行ってる教会では)明記してないので、さあ救われて洗礼を受けてから十一献金について聞くと、なんやここは金が目当てか?と感じる人が出てくるのも無理はありませんね。
でも、じゃあ、週報に明記されると毎月の収入がみんなに分かっちゃうため、ワタクシは明記はしてほしくない派です。
海外で明記してるのは「教会が着服してないよ」という証明であるとともに「寄付金」的な感覚だからだと思います。
日本でも大学やら機関やらが寄付金をもらえば明記しますもんね。
では、教会が着服してないことをどうやって確認するかですが、ちゃんとした教会なら毎月「会計報告」を発行してるはずです。
そこに席上献金の1か月分の総計、十一献金(定期的な献金)の総計が明記されています。
「誰がいくら」はわかんないけど、それを教会員の頭数で割れば、大体のところはわかります。
教会の献金の使い道も「会計報告」を見ればわかります。
「牧師謝礼」は牧師さんの月給のようなもの。
「伝道費」いくらかかってます?
いわゆる「教会の運営」にいくらかかってます?
私見ですが、日本の教会ってたぶん、教会堂の土地、建物のローンの支払いが重くのしかかってないですかね?
歴史の古い教会ならそういう額は少ないんでしょうか?
でも、改修費用とかメンテナンスとか結構かかってません?
牧師が専従で牧師謝礼だけで食ってる教会ってどのくらいあるんでしょうかね?
牧師さんが独身ならいざ知らず、ワタクシの知ってる牧師はサラリーマンとかバイトとかしながら牧師をやってる比率は高いです。
(でも、そういうのが望ましいとはとても思えません)
だから、私の知ってる教会は大抵牧師に十分な謝礼を払ってると思いません。
そのあたりになると、教団や教派の歴史が長いところとそうでないところの差、信徒の多い少ないの差がもしかしたら大きいかもしれませんね。
あるいは大金持ちの信徒がいるとか(でも、そんな景気のいい話はあんまり聞いたことがない……)。
私の知ってる教会はたいてい規模が小さいので、そんな小さい教会が牧師一家の生活を支え、かつ教会堂の建築費用や土地代を担っていくのはかなり無理があり、結果として教会堂などのローンは何とか献金で払い、牧師家庭にまで十分なサポートはできてないというのが現状なんじゃないかと思います。
もしも十一献金について聞いてショックだったら、会計報告を見せてもらって、説明を聞いてみるといいと思います。ヤバい教会ならきっとそういうことは嫌がるので「ヤバい」とわかるでしょう。
で、献金が理由で教会を離れるくらいだったら、「今はよくわからないのでしばらくは今のまま礼拝に来てもいいですか」と聞いてみてはどうでしょう?
献金は信徒としての成長や聖書理解や聖霊の導き、考えの変化などとともに自然とできるようになるんじゃないでしょうか。
そもそも宗教を信じていなくても赤十字に寄付したり、困っている人に手を差し伸べるボランティアを続ける人はいます。
ランドセルの寄付をしている「タイガーマスク」さんもいますね。
献金も同様の行為です。
十一献金は「教会の運営のため」という側面が強く、では「教会の運営とは?」となると教会員が集まる場所である教会の土地・建物・管理そして管理者である牧師の生活、時には宣教師のサポート、伝道費用、信徒の冠婚葬祭に際し必要な費用などが中心になろうかと思います。車を所有していればそのローンや維持管理にも費用がかかりますね。
教会堂は初めてキリスト教の話を聞くところ、ととらえると教会堂のローンも宣教費用の一部となるでしょう。
確かに十一献金は教会における「税金」あるいは「互助会費」あるいは「会費」みたいなもんですが、新しく教会に来る人のための準備の費用でもあります。
また、しっかりした建物ならば災害時には避難所として使うこともあるでしょうし、そういう意味では公共性を持つ建物の維持管理費とも言えます。
また、教会によっては献金の一部を慈善団体に寄付してる場合もあるでしょう。
そういったもろもろ、十一献金と席上献金で賄っている、というのが実情かなと思います。
教会の会計係は最も信頼がおけて、かつ実務的なことができる信徒が担当してると思います。
誰が担当してるかもチェックすれば安心材料になりますかね。
この「十一献金」ですが、税金の控除の対象にはならないと聞いたことがあります。
これも「聞いた」だけなんで、新しく洗礼を受けてメンバーになる方はチェックしてみてください。
献金の性質からして、認められてしかるべきかとは思いますが……。
その教会の「公共性」みたいなものが関係するかもしれませんね。
今回はここまで。
仔羊おばさん