ワタクシは現役プロテスタント教会会員として教会に通い、献金もして30年以上になります。
そんなワタクシなどは、
なんで世の中の人はみんな神を信じて生きないのだろう?
と、不思議でたまらんのです。
いろんな欲からも自由になり、経済的な必要は与えられ、心に平安を持って生きることができるんだから、こんな「ええこと」はないのに、なんで世間の人は?
なーんて思っちゃうんですよね。
(∩´∀`)∩
けれども、ワタクシのようなクリスチャンも、なぜ世間の人はキリスト教に冷たいのか?
について自覚しといたほうがいいと思いまして。
で、カルトについて考えていくうちに
あっ!
って感じたことがあったので、今日はそれについて書いてみようと思います。
まずはNHKの討論番組で定義された「カルトの3要件」ですね。
書籍化もされてますので、興味おありの方はどうぞ。
1.脅しの有無
「たたり」とか「地獄に落ちる」とか……
2.詐欺的であるかどうか
法外な献金。霊的商法など。
3.拘束を伴うか
脱会が自由かどうか
で、上記3点で言えば今活動中の伝統宗教には上記3点はない、ということになります。
ところがです。
飢えの3点の中の2点目「詐欺の有無」ですが、「神はいない」という立場に立つと、
「神は生きていて恵みをもたらしてくれる。イエスは救い主である」ということを教え説くキリスト教は「神様がいる」と言った時点でうそを教えている、となります。
正確には詐欺を働いているわけではないのですが(金品をだまし取っていないから)、それでも「うそ」を教えていればうさんくさい。
あーそうか、そういうことか。
1の「脅しの有無」ですが、たしかにキリスト教は「たたり」という概念はありません。
だけど唯一絶対神を信じ「全知全能の神以外を拝んではいけない、それは罪だ」となれば、脅し文句はないものの、すごくそれに近くなります。
こうして考察を加えていくと、
どうして皆キリスト教(また宗教)に対して冷たいの?
という質問の答えになったかなという気はします。
……次回は、それでもクリスチャンもカルトもなくならないのはなんでかということについて、考えて書いてみたいと思います。
仔羊おばさん