さて、多くの日本人にとって、寺や神社というところ(代表的宗教施設)は
見に行くところ
観光に行くところ
だとワタクシは感じている。
もちろんついでに何かのラッキーをもらえればありがたいから、お賽銭を出してお祈りしたりもする。
おみくじを引いたり、お守りを買ったりする。
そのお祈りが聞かれなかったからといって、あるいはお守り持ってて災いに遭ったからといって、ものすごくその宗教施設に怒ったりしないし、「賽銭返せ」とか「詐欺だ」なんて思ったりしない。
このあたりは「観光の一環」「楽しみの一環」なのかなと感じている。
「真剣みが薄い」と申しては失礼だが、ワタクシ自身、クリスチャンになる前にやっていた寺社仏閣行きの気分はそんなものだった。
お守りも、きれいな袋とかが楽しかった。
一方、「お百度参り」のように真剣な願いを捧げるという行為もする方はいる。
ある程度の費用を負担し(?)、厄払いしてもらうという場合もあるだろう。
こちらはいわゆる「宗教的行為」なのだと思うし、真剣みも濃い。
とはいえ、ワタクシやワタクシの教会の多くの方が教会で行っているように、寺社仏閣に毎週行って読経などをする方はあんまりいない気もする。
でも、毎日参拝してる人も少なからずはいる。その際、教会の礼拝のように建物内に上がり込んで椅子に座って一連の宗教的行為をする(教会の礼拝は大体1時間半かかるのが多い。短くて1時間)というよりは、境内に入ってお賽銭をあげて手を打って祈る、というのがよく見かける行為だ。
なので、ワタクシはこういう「見学」的なアプローチも悪くはないと考えている。
実際、「見学」気分で教会の礼拝に来られる方に関して、ほぼ全員のクリスチャンは歓迎してると言える。
いや、
大歓迎
というのが正しい表現だと思う。
さて、先日こういう記事を目にした。
「教会巡りツアー」なるもの。
ワタクシは大賛成である。
もう一度書きますけど、大部分の日本人にとって宗教施設は「建物見学」「観光」だと思うし、それが一番とっかかりやすいからだ。
なので、今日の「こんな教会あったらいいな」は
随時見学受付をしている教会だ。
だけど、これまた「随時」だと教会にいる受付スタッフは教会員の「奉仕」になるから、その負担に耐えられる教会はこれまたほとんどないという気がする。
通い続けてる教会員200人以上とかだと可能なのかな?
(。´・ω・)?
とすると在籍人数は300~400だぞ。
そして、上記の記事で心に残ったのが「教会は敷居が高い」という表現。
なぜ敷居が高いかについて、ワタクシは説明できる。
日本の教会(特に戦後できたプロテスタント教会)は、公共の建物ではなく、
その宗教法人の家
だからですよ。
つまり、
人様のおうち
ですよ。
そんなん入りにくいに決まってるじゃないですか。
まず、土地・建物はローンで買ったもので、そのローンは教会員の献金でまかなっている(牧師含みます。牧師も献金しています)。
下手したら、教会に牧師さん一家のおうちがくっついているのも少なくない。
文字通り「おうち」ですね。
そこに、日曜礼拝の時には「皆様ご入場大歓迎」なわけです。
それ以外にも「バイブルスタディ」(平日に行われることが多い)とか子供の「日曜学校」とかの行事でも一般ご参加大歓迎です。
でも平日や夜間で教会メンバーが使用する時間帯以外は、そこ(教会堂)は「おうち」ですから、勝手には入れないし、勝手に入ったら犯罪になっちゃいます。
これって実際、教会員もそうで、一部のカギを持ってる教会スタッフ以外は教会のカギが開いてる時間しか中には入れません。
献金捧げてる教会員(クリスチャン)でも24時間自由に出入りはできないんだから、教会メンバー以外はそりゃ敷居が高いに決まってますわな。
そうすると、この「敷居高い感」を払しょくするには、
平日含め極力長時間
出入り自由
な空間にするしかないんじゃないでしょうか?
それでもたまに、出入りが自由になってて、昼休みとかに教会に行って祈ることができる教会があると聞いたことはあります。
だけどきっと、すごく規模の大きい教会で、牧師だけでも3~4人いるくらいなイメージですかね。
まあ、ワタクシが知らんだけかもしれません。
なので、お近くのプロテスタント教会が出入り自由になってたら、それはある程度そういった条件がクリアされてる教会だと思います。
仔羊おばさん