風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

キリスト教信徒の立場から見る解散命令

世界統一平和家庭連合、こと旧統一教会に解散命令が出されました。

 

ワタクシの近所の、「選挙の度に選挙活動が行われる駅前交差点」で、先日は世界統一平和家庭連合の方(信者さんか牧師さんかは不明)が立って、解散命令について涙ながらに語っておられました。

要は、解散命令はいくらなんでも行き過ぎだ。不当な決定だと訴えておられたのです。

猫 選挙活動 に対する画像結果

 

さて、ワタクシはキリスト教プロテスタント教会に通う、一人の信徒です。

洗礼を受けて39年になります。

一応、このブログを書くに当たってはNHKの番組「こころの時代~宗教・人生~」の「シリーズ徹底討論Vol.10『解散命令』」を視聴しました。


統一教会問題について考え直す非常に質の良い討論番組だと思います。

キリスト教だけじゃなく、仏教やイスラム教の専門家の方々の視点も得られ、考えが深まります。

とはいえ、ワタクシは一般人のただの信徒、別にそんなワタクシがどんな感想を持とうが意見を書こうがどうということはないのです。

政治家でもないし。

( ̄ー ̄)

もっとも、霊感商法統一教会の問題は今に始まったことじゃなく、ワタクシが受洗した約40年前でも

ダイモンダイ

でした。

この問題に取り組む牧師さんの話を聞いたこともありましたし、実際、統一教会を抜けてキリスト教会に来られる信徒さんにも出会ったことがありました。

まあ、そんな経緯を振り返るに、

解散命令は遅きに失した

とも言えます。けれども涙ながらに世間に訴えておられる姿を目にしますと、

この方はなんでこんな目に遭わないといけないのか

という同情心も湧いてくるのは事実です。

もしも私の通ってる教会に同じことが起こったら……と考えると、特に一般信徒にとっては複雑なものがあると言えばわかっていただけるでしょうか?

 

例えばイスラエルのガザ地域に住んでいる子供が、戦争に巻き込まれて命の危険に遭い、ケガをしたり時には命を失うことがありますね。

戦争の責任は彼らにあるでしょうか?

ハマスの行為に責任はあるでしょうか?

まさに「巻き込まれた」ということなのです。

一般信徒にとっては、それに近い状況が起きているのです。

もちろん中には霊感商法にかかわった方もいるかもしれません。

誰かを勧誘した人もいるかもしれないし、自分の子供を教会員として育てて、その子供が「自分は宗教二世だ。私の人生を返せ」と被害を訴えているかもしれない。

もろもろ、もろもろ。

 

そりゃワタクシは、普通のキリスト教会のクリスチャンなんで、霊感商法にかかわったことはありません。

でも、ワタクシの子供をクリスチャンにしようと一生懸命子育てをしてきたことは事実です(失敗しました💦)。

彼らとワタクシの間には、違いもあるけど共通項もあるんですね。

 

政治は長年、霊感商法について手を出せずにきました。

ワタクシ、その理由は想像できます。

例えば一般に浸透している「お守り」。

「壺はだめ。でもお守りはいい」

のはなぜなんでしょう?

安価だからでしょうか?

歴史があるからでしょうか?

お守りを買ってご利益がまったくなかったとしたって、裁判に訴える人はほぼいません。やはり価格かな。

って考えていくと、では印鑑は?

みたいな話になって、結局、じゃあ「いくら以下なら大丈夫なんか」みたいな論になっていってしまいます。

難しい問題です。

そう考えると、旧統一教会霊感商法に政治が手を出しにくかったことも理解はできます。解散命令はそうそう簡単に出せるもんでもないのも理解できます。

「地下化」したら怖いですもんね。

それならちゃんとした法人としてやっててもらってた方が会計とかも明確にしないといけなくて安心です。

そういうことです。

 

ワタクシの所属するキリスト教会でも「献金」はあるわけで、十一とか以外で「たくさん捧げましょう」みたいな文言を聞かないわけではありません。

実際、教会ではあんまり聞かんけど、特別集会でホールを借りてやるような集会なんかではやっぱり呼びかけはあります。

入場自体は無料で行われますけど、費用はかかってるんで、そういう呼びかけになるんでしょうね。チラシには「席上献金あります」と書かれていることが多いです。

だから、献金について(寺社仏閣では「お賽銭」になる。また、お葬式などの際には「お布施」になる。)、他の宗教でも宗派でも名前や性質の違いはあれどそれなりに献金的なものはありますよね。

おそらく、法的にきっといろんな見方があるはずですよね。

だから、これについてこれ以上ワタクシごときが深掘りすることはやめますけど、各宗教、違いもあれば共通するところもある、というのはわかっていただけるでしょうか?

 

今回、街角に立って切々と「解散命令は不当だ」と訴えてらっしゃる姿を見て、同情心に駆られましたけど、一方で「ただのひら信徒」としては、別の思いも湧いてきました。

やはり一つには「解散命令」はどうなんかなあ、という疑問。

もう一つは「でも、これまでしてきたことを考えたら解散命令は遅きに失した」

で、あと一つは

私と同じ一般信徒にしたら、

どうしてもらうのが一番ええのか?

という問いかけです。

ワタクシの正直な答えは

一般信徒を巻き込まんでほしい

です。

解散命令が出てしまったのなら、一般信徒さんには行先の紹介をするなり、今後の信仰生活についてアドバイスするなり、そういう対処をしてもらうのが、実は一番ありがたいかなと思いました。

きっとなあ……。

もしもワタクシの所属する宗教法人に同じような解散命令が出たとしたら、きっと今回の世界統一平和家庭連合と同じように「不当である」「解散命令の撤回を要求する運動をしよう」みたいな方向にいくことと思います。

確かに、そうする権利はありますし、人権が保証された社会なのだから、正しいと信じる意見は表明すればよいです。

 

とはいえです。

牧師でもなく、教会幹部でもなく、ひら信徒としては

信仰が平安で幸福な人生につながるものである

ことのほうが、教会の存続や教義の正しさより大事なんじゃないんかい?

と、ワタクシは考えているからです。

もしも教会の牧師さんや教会の幹部のような立場であるならば、ヒラ信徒の方には行先の世話をしてあげてほしいです。

 

そんな、企業の倒産と同じにするな!

と、お叱りを受けそうですけど、社会の「公序良俗に反する」ために解散命令を受けたわけなので、素直にそれを認めてひら信徒の新しい出発をサポートしてほしいです。

言い換えれば、もしも私の所属教会に同様のことが起きたならば、少なくともワタクシはその方向で動きたいと考えています。

 

結局、世界統一平和家庭連合(旧統一教会)の献金の行き先が、何らか日本や地域社会に役立つことに用いられてきたならば、今のこの結果にはなっていないのじゃないかというのがワタクシの邪推です。

例えば震災の被害者の方々のために用いられてきたとか、日本の障碍者のために使われてきたとか、そういった日本社会の公共のためにこの宗教法人の存在が役立っているかどうかが肝ではないかと考えています。

そういった点が、他の宗教との違いではないですかね。

国民の幸福に寄与してるかどうか?

という視点です。

例えばお葬式のお布施について「高い!」と文句を言う人はいる。

もしかして本当にお高い金額なのかもしれないけど、それでもそれは故人のために、故人の家族のために友人のために、「お別れをする儀式」として重要なものなのだから、その金額について許容されるということなんだと思うんですよ。

 

解散命令について、ワタクシは正直に言うと賛成派ではありません。

でも、この社会で解散命令が出たということは、やはり反省すべき点があったんだと幹部の方々には思ってほしい。

で、ひら信徒さんたちには行先の紹介をするとか信仰のアドバイスをするとかしてあげてほしいと思います。

教会の運動のためにこれ以上ひら信徒を使うことはやめてほしい。

企業の倒産と一緒で、もう決まったことなのだから、できることとしては「存続運動」ではなく「身の振り方」について親身になってあげることなんじゃないかなと思っています。

 

仔羊おばさん