風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

いちクリスチャンの本音

宗教の諸問題について、時々考えています。

やっぱ定年退職してしまうと、暇ができるからでしょうか。

「チ。」という漫画がすごく評価が高いので、一度読んでみたいなあ、と思ったこともきっかけになり、最近は「キリスト教原理主義」について興味を持っているワタクシです。

ワタクシはプロテスタントの教会に通う、一般信徒です。

洗礼を受けてもう40年になろうとしている!

我ながら衝撃です!

猫 びっくり に対する画像結果

まさかそんなになろうとは!

 

先日NHKの「映像の世紀」シリーズで、アメリカの「バイブルベルト」と呼ばれる地域の特集をやっていて(先日と言ってももう1か月くらい前のことになる)、興味深く拝見しました。

それで、自分の所属する教会についても考えています。

 

信徒って、まあ人それぞれなんだと思うんですけど、教理がどうとかで信仰生活を続けていないってのがあると思うんです。

少なくともワタクシはそうですかね。

今日一日をどう生きるか、どうしたら子供の病気がよくなったりましになったりするかとか、世界が平和になるかとか考え、願うことと、自分の所属教会がどんな教理なのかはあんまり関係がなかったりします。

 

漫画「チ。」の主題?である地動説は、当時キリスト教会では御法度の考えだったそうです。

今は、天動説を唱える教会はさすがに皆無だと思います。

まあ、こうしてキリスト教の根本的な考えも科学を無視して存在してるわけではない。

とはいえです。

キリスト教原理主義

というのがあってです。

聖書の文言をそのまま信じる教派が存在します。

それが「映像の世紀」でも触れられていました。

 

実はワタクシの教会も、かなり雰囲気がそっくりです。

ワタクシの所属する教会はアメリカ系ではなく、もともとはヨーロッパからきた宣教師が開拓してできた教会(今は日本の宗教法人です)なんです。

でも、かなり考えは近いです。

 

まず、「聖書をそのまま……」というのがそうです。

猫 聖書 に対する画像結果

うちもそうです。

でも、キリスト教原理主義の特徴の「中絶禁止」はないですねえ。

「進化論否定」はそうです。

「同性愛否定」もそうです。

いわゆる「福音派」です。

 

まあそれがワタクシの所属教会の立場で、牧師や伝道師がそれに外れた説教をすることはありません。

 

でも、進化論について、信徒の考えは実際、どうなんでしょう?

ワタクシ自身は進化論の教育を受けてきましたし、感覚的には「人はサルから進化した」という感覚は持っています。

ついでに言うなら、キリスト教全般、輪廻の考えは持っていませんけど、「もし生まれ変わったら……」なーんて話題も自然に話します。

どっか、感覚的に持っています。

信じてるかというとそうじゃないけど、その感覚はあるんですよね。

進化論についてもその感覚とおんなじで、進化論の感覚で生活してるけど、めっちゃ信じてるのかというとそうではなく、また一方で所属教会が進化論否定だからといって、心の底からそれを否定してるわけでもありません。

理由はわかりますかね?

ひとえに「自分は専門家ではない」からです。

自分が研究者で進化論について確信を持ってれば進化論について揺るがんと思います。

でも、専門家じゃないから「人間は動物とは違う。神によってつくられたのだ」と言われたら「そうかも」と思い、「いやいやサルから進化したのだ」と言われたら「そうかも」と思うのです。


同性愛についても、いや、ほんならそれを認めないことで生きづらい人をどうすんのよと思うと、「神の愛って何なの?」と悩んでしまいます。

 

それがいちクリスチャンとしてのワタクシの本音です。

 

そういう雰囲気を察してなのか、日曜の礼拝メッセージでこれらの話題に触れられることは最近はほとんどありません。

 

地動説が科学的に証明されると、キリスト教会もあっさりと?その説を今日採用しています。

もしも進化論が科学的に(完全に)証明されたら、やがてあらゆる教会もあっさりとそっちに乗り換えるんじゃないかとワタクシは思います。

 

で、信仰生活ー聖書を読んだり祈ったりすること、また伝道することーとそういう教理とは、無関係ではないんだろうけど、実感としてはどうでもいいかなあ。

( ̄ー ̄)

 

まあ、そういうことなんです。

ヒトがサルから進化しようがしまいが、私はイエス様を救い主だと思っているし、天国に入りたいと心から願っているのです。

 

仔羊おばさん