風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

政教分離について一般信徒が考えてみる

また今月も、別にブログを更新したわけでもないのに、8月3日に

謎のアクセス爆上り

がありました。

皆さま、本当にありがとうございます!

<(_ _)>

 

さて、目下のところのワタクシの考えてるテーマは

信徒にとっての政教分離の良さ

なのですけど、先日は頭がぼけぼけでぱっと思いつかんかったのです。

今日、ふっと考えてみたら、でも、そんなのって簡単で

「今、ここに住んでる人」のためにどんな政治が良いかを考えて実施するのが良い。

という、極めて単純なことに思い至りました。

猫 住人 に対する画像結果

もちろん、「政教分離」については専門家の方々が学問的な意味で、また歴史的にもどんな良さがあったのかとか研究されてるでしょう。

このブログでそういう知識的なものを紹介してもあんまり面白くないでしょうから、ワタクシはあくまで一般信徒の立場で、その良さについて考えてみたいのです。

 

さて、信徒の立場で書いてみます。

特定の宗教に政治が偏ってしまうと、その地域の生活がめちゃくちゃになってしまう。

例えば、戦争中の日本。

国家神道を信じることが絶対。となると、その考えで突き進むから社会全体がおかしなことになっていても歯止めが効かない。

一党独裁と同じですね。

そういう時に、違う宗教を信じてる人たちは割を食うし、少数派が割を食うことで多数派も益を逃す。

例えば戦時中、国家神道強制の社会の中だとクリスチャンはもちろん息苦しいけど、その息苦しさは、結局は国家神道に抵抗感のない一般の方々にも及んでしまい、社会全体の息苦しさにつながる。

だから、日本のクリスチャンにすれば、日本で政治にかかわる方々がクリスチャンだったらいいのに、とか願うけど、政治が単一の思想で行われてしまうことの恐ろしさがあるんだと思う。

 

そういう意味では、ジェンダーや年齢についても、政治というのは幅広い人々みんなにとって良いものを目指して行われてはじめて、「住みよい街」「望ましい教育」というのが実現するんじゃないんだろうか。

 

また、キリスト教の信徒一人一人が悩んでそれぞれに異なる結論に至って投票することも、最終的には皆にとって住みよい街、また集まりやすい教会を形成するのに必要な条件なのかなと、今日のところは考えた次第です。

仔羊おばさん