風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

政教分離について一般信徒が考えてみる② 

クリスチャン歴が長いだけの一般信徒のワタクシ。

若い頃は、日本も「クリスチャン議員が多かったらいいのに」「神様に聞く人が為政者ならいいのに」と考えていたものです。

とはいえワタクシも老人の一人となり、政治と宗教っていやそんなイージーなもんではないぞ、と最近は考えています。

 

じゃあ、韓国や台湾で大統領や総統がクリスチャン、という時期でも、じゃあ、そんなにそれがいいことだったのか?

というと、そう話が簡単に済むものでもなさそうだし。

しょせんは「政教分離」ですので、長がクリスチャンでも別に、ってこと。

猫 簡単 に対する画像結果

最近はワタクシは「原理主義ってコワイ」と思い始めています。

イスラム教だけじゃなく、キリスト教にも原理主義ってあるし、ワタクシの所属教会だって原理主義的です。

いわゆる「聖書をそのまま信じる」というやつです。

旧約聖書の最初の5つはキリスト教イスラム教も共通するところです。

そこを「そのまま」となると、当然、イスラム教でもキリスト教でも原理主義は似てきます。

例えば女性はサブ的な役割で男性が長、という考えも原理主義では強いです。そうするとキリスト教だって原理主義が突き進んでいけば「女子教育は不要」そこまでいかなくても「女子教育はあくまで男性の補助的な役割を目指すものにすべし」となっていったら、ワタクシはちょっと恐ろしい世の中になりそうな気がして怖いです。

もちろん実際にはアメリカでも日本でもキリスト教原理主義的な考えを持ってる教派の主要な担い手はほとんど女性が中心だったりしますから、「女性はサブで」なーんてちょっと口にも出せそうにない雰囲気ですし、もしも本当にそんなことを言ったら、教会は動かなくなるでしょうね。

欧米はともかく、日本だと信徒数も少ないから、教会はつぶれるか機能不全に陥るでしょう。それで「女性はサブで」なーんて誰も言いださない。

そういうとこが結構ご都合主義なんだな。

でも、その方がいいや。

( ̄ー ̄)

 

で、今日も「政教分離」について考えてみたいのですけど、政教分離の一つの特徴って

最大多数の最大幸福

を追いかけられるところにあるかなと思いました。

この言葉、久々に思い出しましたわ!

猫 久しぶり に対する画像結果

できるだけたくさんの人をできるだけ幸福な状態にする。

というやつですわ。

これが宗教中心だと、キリスト教では「神様の御心」ファーストですから、民の幸福より神様の御心が大事、ということになります。

経済発展か御心か? → 御心になります。

あらゆるそういった選択が「神様の御心ファースト」になるわけです。

すると「豊かになって幸福に暮らす」や「娯楽を楽しむ」よりも「神を賛美する」「祈る」が大切な価値観になるかもしれません。

結局、政教分離についてワタクシが考えたことは、最大多数の最大幸福を追い求めようと思ったら、政教分離しかないかな、と。

で、歴史学者や専門家は政教分離がどうして発生したのか、また続いているのかについて、定説をお持ちのことでしょうけど、ワタクシは一般人/一般クリスチャンですから、その立場で推し量ると、政教分離は真面目な信徒としては「?」と思うけど、実際、その社会は「良い」これに尽きると思います。

 

確かにクリスチャンだと「神に祈る政治が最もよい」と考える向きもあるけど、もしかしてそういう政権だと、人口はこんなに多くなってなくて、例えばワタクシも存在してなかったかもしれないし。

神様ファーストの価値観、それは例えば旧約聖書の一つのエピソードから説明できます。イスラエルの人々がモーセに率いられ、荒野を旅している時に、モーセが皆を置いて山の上で(上やったっけ?)十戒を神様から授かりました。で、イスラエルの民のもとに帰ってみると、民は「金の牛の像」を作って神様としてあがめていた、ということがありました。

モーセは忠実な「神様の御心ファースト」を行う方ですから、即座にそれを壊し、神様に従うように民を指導します。

これ、神様の御心ファーストです。

これが最大多数の最大幸福を一番に考える価値観ならば、金の牛は壊されずに、そのまま民衆の望みを叶える方向に進むのじゃないでしょうか?

「金の牛」は確かに偶像ですけど、「民衆の望むもの」と捉えると、「経済的繁栄」もこの「金の牛」みたいなものなんじゃないでしょうか。

原理主義的な考えを持ってる真面目な信徒さんも「コンビニのない日本」「日曜日に基本的にお店の営業をしていない日本」は望んでないんじゃないですか?

でも、本当に「安息日を覚えて……」という社会を厳格に守ろうとするならば、日曜に働く人を仕事から解放してあげないと日曜礼拝には来られません。

ワタクシはクリスチャンでも原理主義的な感覚を持ってる方に出くわすと、ちょっとそのあたりが甘いんじゃないかなと思うんです。

実際、コンビニのない社会に戻ることを、原理主義的な感覚の人だって望んでないと強く感じます。

「いいとこ取り」って結局不可能です。

便利で豊かな世の中を望みながらゴリゴリのクリスチャン生活を守ろうとすることは無理なんだと思います。

 

だから、原理主義的な社会を望んだとしても

1.その実現は現実的ではない

2.欧米社会や多くの先進国では「政教分離」を選択した時点でもう原理主義からさよならしてる

んじゃないかと、今のワタクシは判断しています。

 

ごちゃごちゃ書きましたね。

不愉快に思われましたら、「素人の遠吠え」ゆえお許しください。

<(_ _)>

 

仔羊おばさん