洗礼を受けて39年になりました。
旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の信徒の女性の子供、が山上徹也被告です。
安倍元首相を殺害しました。
まずは、あらためましてご冥福をお祈りしたいと思います。
政治家であり、首相を務めた方であろうといち人間であることは事実です。
聖人君子でなかったとしても、じゃあ、では、殺されるようなことをした方だとは思いません。
ワタクシを含め国民のために汗水を流された方であることは間違いのないことです。
ワタクシはただの一般信徒としてこのブログを書きたいと思います。
素直に一般信徒の考えることは、じゃあ、自分の所属してる教会と世界平和統一家庭連合の違いは何なのか、ということだと思います。
で、次に重ね合わせるのは、ワタクシは「山上被告のお母さん」です。
まあ、立場が似ています。
ワタクシも母親で子供がいます。そして、子供をクリスチャンとして育てたかったけど、なんか失敗しちゃいまして今に至っています。
そんなとこも共通しています。
献金もしてきました。
違いは、ワタクシは破産してないし、子供の進学の費用も満たされてきたということです。
もっと言えばワタクシはサッカー観戦はじめ趣味を楽しんでいます。
けちけちと貯金にも励んできました。
クリスチャンとして、それってどうなの?
といえば、正直、「どうなんやろ」と思うところもなくはない。
いつだったか、サッカーの天皇杯の決勝戦が東京の国立競技場で行われたときに、大阪からわざわざ観戦に行き、日曜にはちゃんと当地(東京)の教会にも行って礼拝に参加したんです。
で、礼拝後。そこの牧師さんに「なぜ東京に?」みたいに聞かれたとき、はっきり
「はい。サッカーの天皇杯決勝を見に来ました!」
って答えたら、まあ、牧師さん絶句してました。そっから会話が続かなくなったもんな。
「天皇」という文言の刺激が強すぎたんでしょうね。あと、サッカーの試合のために上京してくる、そんなお金を使うということが、絶句の理由だったかもしれません。
でも、競技会の名称はしかたないじゃん、「キリスト杯」であってほしいとは思いますけど、日本のキリスト教系の団体にそこまでの財力はないんだから……。
あとは、そこまで趣味を楽しんでる信徒の存在が信じられなかったのかもしれません。
まあ、よくわかりません。
ここでワタクシが言いたいことは、もしかしてワタクシの所属するプロテスタント系キリスト教会でも、山上母のような方がいないとは限らないということです。山上母ほど献金してる人はきっといないと私は思ってるんですけど、もしかしたらいるかもしれないのです。
前置きが長くなってしまいました。
今回の事件は、すごく宗教や献金について考えさせられるきっかけになりました。
そんな信徒は少なくないと思います。
献金の何がそんなに問題なのか?
皆さんは考えたことがありますか?
「献金」と一口に言っても、その種類はいろいろあります。
例えば、教会でも自然災害や戦争に巻き込まれた地域のために、あるいは恵まれない国の子供のために、捧げる種類の献金もあります。
最近だとウクライナの戦火から逃れる人のための献金とか、能登の自然災害のためとか。
もしも統一教会の献金の行き先がそういった被災地のためだったら、山上被告の献金に対する印象も違ったものになったかもしれません。
また、とある方が自身の死後に残される財産を地域の病院に寄付する、というニュースを拝見したこともあります。
あれは「献金」と呼ばないけど、教会の「特別献金」と呼ばれる献金の中の一分野がほぼそれに近いです。
世界平和統一家庭連合になぜ解散命令が出たのか?
私の目から見れば、それは献金の行き先が「国内ではなかった」からかな?と思います。
献金の行き先が「能登の復興のため」であるとか「東北の震災被災者の生活再建のため」とかなら、どうなっていただろう?
多くの人がそんなに非難はしなかったんじゃないかと……。
そして、もう一つ考えさせられた一つのことは、じゃあ、山上被告のお母さんは神様の目にどう映っているだろうか?
ということです。
山上被告のお母さんは今も信仰を持っている、という。
そんなにも教会と神様を(?)愛しているなんて、ワタクシみたいな出来損ないクリスチャンからしたら、「すごいな」の一言です。
自分は財産の何もかもを教会に捧げて、で、長男は祈りもむなしく亡くなってしまって、自分も生活に困窮して、息子の一人が銃を作って元首相を撃ち殺してしまった。
そんな目に遭ってなお、誰にも恨みを抱かんだけで偉くない?
彼女を「偉い」呼ばわりしたら問題あるのかもしれないけど、クリスチャンの端くれたるワタクシにしたら、「あー私にはそんな信仰心なさそう……」と、思う。
ただ、プロテスタント教会で39年信徒生活を送ってきたワタクシとして、世界平和統一家庭連合の教えに「え?」と思うのは:
キリスト教には
祖先が何々したから
とか
因果応報
とかいう考えはないということです。
新約聖書には、ある人が盲人(やったっけ?)を指して「この人が目が見えないのはこの人が罪を犯したからか、それともこの人の先祖が罪を犯したからか?」とイエス様に問い、イエス様が「そのどちらでもない。神の栄光があらわされるためだ」と答える場面が出てきます。そう言って、イエス様はその人の病を癒すわけなんですが、まあ、この場面から、「先祖のたたり」みたいなスタンスをキリスト教ではとりません。
だから、世界平和統一家庭連合の教えはやっぱ、キリスト教とは似て非なるものなのかなと思います。
山上被告にせよ山上被告のお母さんにせよ、こんなに苦しんで、天国に入れないとかあるかな?
とも考えました。
愛なる神様はきっと天国に招いてくださるんじゃないか?
まあ、そんなの、ワタクシは神様じゃないからわかんないけど。それに、苦しんだから天国に入れるみたいな教えもキリスト教にはないし。
それはワタクシが勝手に思ってることで。
山上被告のお母さんがやったことで、結果的に神様や教会に対してマイナスポイントがあるとすれば(それは神様に対してなのか、教会に対してなのかはよくわかんないんだけど)、そんな無理やりな献金が存在する、と聞いて、世の中の人に
宗教キケン
絶対にどの宗教にも接触しないぞ
そんな危ないものには近づかないぞ
といった雰囲気を作ってしまった。
世界平和統一家庭連合に至っては解散命令まで出た。
ってことでしょうか。
でも、一方で各宗教に今一度考えるきっかけを与えたのは悪いことではないかもしれません。
あと、献金は基本的に「働いて稼いだものから」がいいのかなとも思いました。
自分で汗水流して働いた給料から捧げるのが自然だし、そのあたりが「その人の分」なのかなとも思いました。
行き過ぎを防ぐ一つの手立てにはならんでしょうか?
ワタクシは「献金」でなく「献身」が本来のあるべき献金の姿と考えているので、自分が何らか献身的に働いたものの中から捧げるのが本来なのじゃないかと思ってしまうんです。
もちろん中には「宝くじに当たったから」「法外な財産を相続してしまって、それに自分は値しないと考えて」それで世のため人のため献金とか寄付とかしようと考えるケースもあるでしょうけど……。
そう。
とにかく献金も宗教も、今回の山上被告の苦しみも犯罪も、ものすごくワタクシたちに訴えかけてくるものがあります。
ワタクシはいち信徒として、そういったことを考えて、ここで書いてみました。