「福音派」は良著でしたから、とってもお勧めです。
特に、クリスチャンの方々は理解が深くなると思うから、読んだらとってもいいと思います。
これで「信仰が深まる」とかはないけど、「そっか、そんな風に見えるのか」とか感じることができます。
まあ、アメリカはうらやましいですよね。
クリスチャンのプレゼンスがこんなに大きい国に生まれたかったという思いも湧かないではないです。

さて、前回は「終末論」について自分なりに書きました。
ワタクシは洗礼を受けて39年が過ぎたクリスチャンです。教会にもずっと通っています。プロテスタントの教会で、アメリカ系じゃないけど(もとはアメリカ人でない宣教師が開いた教派でしたけど、今は日本の宗教法人です)、「福音派」だと言えると思います。
私は親はクリスチャンではなく、1代目のクリスチャンです。
子供は洗礼は受けたものの、大人になってからは教会からは離れました。
「宗教2世」にしようとして、失敗した親ですな。
さて、今日は「中絶」について、一般信徒として私から見てこの問題はどうなんだいということを書いてみようと思います。
まず、旧約聖書にも新約聖書にも「中絶」について書かれていません。
だって当時(2000年前とか)、そんな技術はなかったわけだし。
特に、旧約聖書では「子供に恵まれない」ということが大変で、子供が生まれない女性の肩身の狭さなんかが大問題であって、その苦悩の様子とかを読むと、「中絶」なんて、まさかそんなことがアメリカの政治の大きい争点になるだなんて、かけらも想像してなかったでしょうね。
「中絶がいけない」ということの聖書的なよりどころは、旧約聖書の十戒の「殺してはならない」です。
ちなみに新約聖書で、病を癒したり亡くなった人を生き返らせたり、数々の奇蹟をされたイエス様ですけど、「祈ったら不妊の女が子に恵まれた」みたいな奇蹟は聖書には書かれていません。
まあともかく、「中絶」や「間引き」などは聖書の世界からはかなり遠いです。
で、ワタクシの教会で「中絶」について説教で語られたことはこれまでありません。
男女の付き合いについての戒めとか、婚前交渉はだめよとかは聞いたことありますけど、「中絶不可」みたいなことを聞いたことはありません。
たぶん、理由はあるだろう。
ここからはわたくしの勝手な憶測で、想像です。

それほど独自の視点ではないと思います。
まず、もともと「中絶に対する罪悪感」は、クリスチャンじゃない日本人の一般に多くの人が抱いていると言えると思います。
別にキリスト教から「中絶は罪だ」なーんて言われなくても罪悪感を感じている。
キリスト教は「罪」を大きい問題だとします。これは法的な罪ではなく、心の問題で、例えば「情欲を持って女を見た」それだけで罪と考えます。
中絶は法的には罪ではない状態ですよね。法的には問題ないけど、すっごく後悔する。
「水子の供養」とか伝統的にあるくらいだから、この罪悪感は広く一般的にあったんじゃないでしょうか。
そもそも、日本は圧倒的に貧しい時代があり、子供が生まれても育てることができなくて「間引き」とかあったくらいです。
誰も中絶なんて望んでないけど、やむをえずそうするしかない貧しさの問題を無視することはできない時代はそこそこあったということかなと思います。
もともと中絶に対する罪悪感がある上に、妊娠した方の経済力との関係があるから、中絶を禁止になんてできない。
というのが日本の現実かなと思います。
望まない妊娠をするのは何も10代だけじゃなく、結婚している夫婦にも起こりえます。
そういうことも考え合わせると、もしかしてアメリカで「中絶を合法にするのは間違っている」と主張することができるのは「望まない妊娠をしても出産したら何とかなる」ってことなのかなとワタクシなんかは思わなくはないです。
だって中絶を非合法にしたら、まずは合法になってる州に行ったりして手術をする人が増えそうに思うし、それと地下にもぐって中絶手術をする医者がでてくるように思う。
かえって危ないなー。
そして、とりあえず産んだら養子とかで引き取る方が多いのかなとも思った。そういうことがととのっているから「中絶を不法に」などということが主張できるのかな。
どうなんでしょう?
ワタクシの目から見れば、「中絶は不法に」などと主張ができるというだけで、日本のtアメリカの社会の違いが浮き彫りになるような気がします。
結局、日本の教会では「中絶どうこう」というメッセージが語られることはないかなと感じます。
それを語るには日本の女性はあまりに立場が弱いですかね……。
日本で真剣に社会が分断するとすれば、それは
かもしれない。
仔羊おばさん
