風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

「祈りの課題」が難しい。

ワタクシは洗礼を受けて39年が過ぎたクリスチャン。

教会もずっと同じところで続いていて、毎朝聖書を読んで祈る生活もおおむね35年以上は続いている。

自分で言うのもなんだが、筋金入りのクリスチャンだと思う。

毎週教会に行って礼拝にも参加している。

 

さて、教会には「女性会」というのがあって、女性であればそこに所属することになる。

ワタクシは女性会には基本的に出席しないことにしている。

理由は2つある。

一つは女性会に行くと、ほぼ例外なくおいしいお菓子が出てくるから。

ワタクシは糖尿病なので、ちょっとそういう席は遠慮させてもらいたいのだ。

これが一つ。

もう一つは、どーにもこーにも女性の集団が苦痛、というのがある。

特に、クリスチャンの女性のかたまりが苦手だ。

猫 苦手 に対する画像結果

なんやろう。

たぶん、いい子ちゃんの集まりが嫌なのだと思う。

自分もそこそこないい子ちゃんである自信はある。

毎朝だけでなく、祈るのはもう習慣だし、クリスチャン的なものの見方をしていたり、その価値観が自分に根付いている。

けども、いい子ちゃんでないという自覚もある。

伝道に積極的ではないし(家族や友人を教会に誘うとか聖書の言葉を伝えるとか、「神様はあなたを愛している素晴らしい方だ」とか言ったりしない)から、いい子じゃないと思う。

イエス様を愛していると言えるか?

愛していると言いたいけど、その点について強い自信はない。

「親しみを感じている」が一番近いかと思う。

それに、女性会に集まっている方たちの雰囲気が嫌いだ。ワタクシは女性も仕事をして経済的に自立したほうがいいと思ってるし、夫婦別姓だったらいいのにと思っている。「家事は女性」みたいな考え方が嫌だ。だから、女性会に行ったときに心地よくない。

以上が女性会に出席したくない理由二つだ。

 

さて、その「女性会」から、「祈りの課題を出してください」というのがきた。

これは、教会でしょっちゅう行われる、非常に心温まるありがたい習慣で、それぞれ人に祈ってほしいことを共有して各自が祈るのだ。

私は、このように人のために祈るのは好きだ。

誰に頼まれもしていないけど、警察署の前を通りかかったときに、交通事故による死者が出ていたら、その親族の方のために祈るし、その方のために天国にいけるようにも祈るし、北朝鮮拉致被害者の方々が日本に帰ってこられるようにも祈る。

自分の家族のためにも祈るけど、次男と同じ病気の方のためにも祈る(なんとワタクシの教会の関係者だけで次男を含め4人も統合失調症患者がいる)。

牧師先生や教会の会計のためにも祈る。

いろいろ祈っている。

祈るのは好きだ。

でも、祈ってもらうのはちょっと苦手。

そりゃ「家族の救い」とかそういうのでお茶を濁しときゃいいのはわかっているんだけど、一方でワタクシは「老後困らないくらいのお金が与えられたらいいなあ」とか「サッカーなどの趣味をもっと楽しめるように」とか、そういう気持ちも強い。そんなこと、なんとなくリクエストしにくい。

「次男の病気が癒されるように」と書けばいいのだろうけど、癒されることはないから(完治する病気ではない)そういうのも書きにくい。

自分の病気がましになるように祈ってもらったらいいのよね、きっと。

「祈りの課題」が書きにくいのは、自己開示をあんまりしたくない気持ちの表れかな。

 

クリスチャンなんだけど「偏屈ばーさん」なのよ。

(-_-)

 

仔羊おばさん