ワタクシは洗礼を受けて39年になるクリスチャンだ。
教会はプロテスタント系で、戦後宣教師が開いたが、その後日本の宗教法人になって、半世紀以上になる。
さて、こんなニュースを読んで思うところがあった。
フィギュアスケーターの坂本花織選手が、アメリカのアンバー・グレンという選手の心持と行いに賛辞を送った。
「彼女は誰かが困ったり苦しんでいたりすると『自分には何ができるだろうか』と考え、それを行動に移すことができる人だ」
と述べました。
この記事を読んで、ワタクシも心を揺さぶられました。
で、いわゆる“アメリカ人”に共通する、Christianity(キリスト教的信仰やキリスト教的な考え、行動規範)を、ワタクシはアンバー・グレン選手の人柄に見るわけです。
こうして一人一人のアメリカ人に接するとき、度々こういった博愛精神に感動します。
「博愛精神」なーんて、昨今、耳にすることもてんでなくなっていて残念ですけど、これこそ「イエスの愛」だと思います。
ワタクシがクリスチャンになったのも、そういう生き方をしていきたいと思ったからです。

そうですね。
イエス様を救い主と信じたのも、洗礼を受けてクリスチャンになったのも、教会に通い続けているのも、何だろう? 別に「いい子」になりたいわけじゃなく、正直に言って別に伝道したいからでもなく、ましてや献金がしたいからでもない。
何やろう?
アンバー・グレンさんのように気持ちのいい生き方がしたい。
無理やりにそうするんじゃなくて、自然と気持ちのよい奴になりたい。
伝道や献金や「よい姉妹であること」なんかは、そういうものに付属するものであって、後からついてくるものであって、目的ではない。
伝道は確かにイエス様が命じられたことだから、嫌でもするのが喜ばれることなのかもしれないけど、嫌やな嫌やな思いながらするもんでもなくて、もしも人からどうしてそんな風に生きられるのと聞かれたら「イエス様が私の生き方を変えた」と言えばいいだけのことかなと思う。
誰からもそんなことは聞かれたことがないよな。
(-_-)
救われた喜びを一番にしたいと今日、思った。
仔羊おばさん