風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

献金にまつわるエトセトラ①障碍者をどうするか

一口に「障碍者(しょうがいしゃ)」といっても様々であるのは言うまでもないことです。

しかし、ワタクシの私見ではもともとクリスチャンで教会生活もある程度過ごしてきて、その後障碍者になった方の場合以外、十一献金の対象としないというのがいいんじゃないかと思っています。

いや、例えば、もともと信徒でそれまで十一献金をしてきた方でも、「無収入」となった時点で、十一献金は「ゼロ」となるはずです。

それでいいと思います。

 

さて、まず、障碍者の献金について聖書には触れられていません。

「目の見えない人」は出てきますし、「病の人」も出てきます。

でも、どうやらそういった方々は「病の癒し」が一番だったし、癒される前も後も、「献金した」「恩返しした」みたいな記述はありません。

癒された人はとにかく喜んで感謝したようですけど、じゃあ、弟子たちと同行したとかそういう感じでもなさそうです。

聖書の世界では、深刻な病気や障害を負った人の場合、献金でも奉仕でも「それどころじゃない」といった雰囲気だったのかなと想像します。

猫 労働 に対する画像結果

ワタクシは教会生活を40年近く過ごしてきてるのですけど、ワタクシの知る限り(自分を含めて)、障碍者への理解は非常に浅いと言っていいと思います。

もちろん、親族に障碍者がいるような牧師さんだったら、そんなことはないんでしょうけど、ワタクシがこれまで見てきた限り、信徒はともかく、牧師さんや教会の幹部や教会員の方々が、障碍者理解が深い、ということはあまりないと感じます。

 

ワタクシがこのブログで書きたいことは、障碍者にもいろいろいる、というありきたりなことになってしまいます。すみません。

学生を除き、障碍者が働く、あるいは働いている、と言う時、ちょっと気をつけないといけない一つのことは、その人が働いているのが一般就労なのか、A型作業所なのか、B型作業所なのか、ということです。

 

教会の十一献金は平等にできていて、収入の十分の一を捧げることになっています。

収入が多い人は多く、少ない人は少ない。

なかなか素晴らしいシステムなので、別にどこで働いて(作業して)いようが、十分の一なら比率が変わらないため、それでいいじゃないか、と考えがちです。

また、ワタクシもそうなんですが、献金をしてみると、神様はそれに豊かに応えてくださることをクリスチャンは経験しています。

「与える」は「受くる」より「幸い」なのです。

ワタクシも長年種々献金をしてきました。やたら貧しかった時期もあったものの、振り返ってみれば、どっちかというと儲かってきたというか、経済的に結構恵まれています。

そういう体験をしてるもんだから、その人が障碍者であっても、献金にチャレンジすればきっと神様はより豊かに祝してくださるに違いない、という信仰を持っています。

しかしながら、です!

 

ここで留まって考えてもらいたい。

 

一般就労ならばその考え方でもよい。

 

でも、A型、B型の作業所の違いを知らないような段階なら、そこは立ち止まって考えてもらいたいです。

A型作業所は、就労に関し特別な配慮が必要であるものの、作業が「労働」とみなされるので、労働基準法が適用されます。最低時給も一般就労と同じです。

つまりA型は一般就労により近く、障害の程度も比較的軽いのかと思われる方々が作業しているところです。

勤務時間が一般就労に比べ短かったり、日数が少なかったり、内容がより単純だったり、作業所のスタッフの障碍者理解があったり、配慮が得られたりというところです。

 

しかしB型は、その作業が「労働」とは認められていない作業所で、工賃として支払われるのは時給で200円平均の世界です。最近は300円とか350円とかも見かけないではないですけど、ともかく最低時給よりはるかに低い額です。

「労働」と認められないからです。

障害の程度が、それなりに深刻だということが言えるかもしれませんね。

 

考えてみてほしい。

 

もしも自分がB型作業所でスタッフとして働いているとして、作業をしている障碍者が教会に行きはじめ、そこで収入の十分の一の献金を勧められていたら、どう感じます?

もちろん障碍者と言っても、それが身体障碍なのか知的障碍なのか精神障碍なのかで変わってくるかとは思いますけど、そんなにも収入の少ない利用者(障碍者)が、教会で十分の一を献金するように言われていたら、「もうそんなところに行くな」と言いませんか?

そして、そう言われてしまったら、障碍者本人がいくら信仰生活を喜んでいたとしても、教会生活を継続するのは難しいんじゃないかとワタクシは思います。

聖霊の働きは健常者も障碍者も変わらないと教会内で一般に考えていますけど、B型で働いている場合、障碍者本人の判断力によっては、強固な信仰心というのは難しい場合もあります。

周囲の方は障碍者が誰かに騙されて金銭をカモられないか心配します。

そんなことで、せっかく教会に来ていたのに、来なくなってしまうことのほうが残念でなりません。

猫 残念 に対する画像結果

A型作業所に行ってる方でも、知的、精神障害が全くない方でない限り、十一献金からは外したほうが良いと思います。

それは、判断力にハンデがある可能性があるからです。

そういう点では、別に障害がない人でも病気に悩んでいるとか、高齢で認知能力が落ちてきている状態だと正常な判断が難しい場合など、十一献金については何らか検討が必要なんじゃないでしょうか?

 

誰でもかれでも同様に、というのは大切だと思いますけど、十一献金をまったくしなくても、席上献金と言う方法もあるし、例えば災害の被災地に義援金を送るような寄付に参加してもよいわけです。それも広い意味での献金ではないでしょうか。

 

まあ、しょせんは信徒歴が長いというだけのおばあさんのたわごとです。

教会には教会のやり方考え方があるでしょう。

信じているやり方もあるでしょう。

そんな不信仰者の言うことなんて聞けないわと思われてもいたしかたありません。

おばあさん信徒の「遠吠え」でした。

 

ちなみにワタクシの子供はB型作業所に通う障碍者です。

教会にはその事実は認識されていません。

ワタクシから何も言わないし、当人に聞いたところで、状態がよほど良ければ自分の状態を正確に説明できるでしょうけど、そうじゃなければ説明は要領を得ませんから、実態はわかんないと思います。

ワタクシ自身は彼に、席上献金はするように言っています。金額についてあれこれ言ったりはしません。

B型作業所に1か月フルに通えたとして月に2万円くらいになるでしょう。でも彼の場合、今年の2~3月の状態だと月に6~7千円程度の工賃でした。

彼は「障碍者年金」という、障碍者がもらえる月々の支給(この認定を受けると月に8~9万円くらいもらえるらしいのですが、彼はその条件を満たしていませんからもらえません)は受けていないため、もうほんと、親がいなくなったら生活保護の対象なんかなあ……。

(-_-)

 

実例でちょっとは実態がわかっていただけたでしょうか?

 

こんな現状ですんで、ケースに応じてにはなりますけど、献金については教会側は慎重にしたほうがいいということを伝えたかったので、書いてみました。

 

仔羊おばさん