ぶちぶち文句を言いながらも、マイノリティーは生きにくい、と言ってても、クリスチャンをやめないのは、結局いろんな理由があります。
今回からしばらく、それをつづってってみようかな。
クリスチャンやっててよかった、と思うことのイチバンは日曜礼拝です。
もしクリスチャンが身近にいたら、クリスチャンで一番いいことって何?
と聞いたら、「祈ること」「心に平安があること」とか答えるんじゃないかと、勝手に思ったりするんですけど、私はそのおおもとには「日曜礼拝」があるんじゃないかと思います。
もし日曜が仕事の方がいらっしゃったら、「火曜礼拝」とか「水曜礼拝」とかしてる教会もあると思うので、探してみてください。
あるいは、水曜の夜とか木曜の夜とかに「バイブルスタディ」とか「聖書研究」とか称して教会にメンバーが集まってることもあるかもしれません。
何のこたーない、そういう夜の集会も礼拝形式でやってるので、そう差はないと思います。本当は、聖書研究はメンバー向けすなわちクリスチャン向けだと思いますが、その内容でも特に難しいとかはないと、私は思います。
なんで、日曜礼拝に行くのが「やっててよかったこと」の一番にくるのか。
私はメンバーとの個人的付き合いは、ほぼやっていないし、今や話しかけられるのが「重い」と感じてるほどなので、教会員との付き合いを強くお勧めはしません。
付き合うことのよい点は、教会近所の方が教会に集ってることが多いので、地域の知り合いができることだと思います。
逆に、付き合って後悔するケースの多くは、ちょっとした不愉快や不信感が生じたり、嫌な思いをすることがある、ということです。牧師&牧師婦人とそりが合わないケースも結構あります。長く教会員をやってると、そういうのはあります。人と人なので、結局「好き」「嫌い」に集約されていくのです。
教会に行っててよかったって思うのは、礼拝の行為そのものの中に信仰の行為が集まってるからです。
讃美歌や聖歌を歌う。
祈る。
説教を聞く。
聖書を読む。
メンバーとちょっとしゃっべたりする。祈ってもらう。
自宅で祈ったり、聖書を読んだりという習慣が身についていなくても、礼拝に参加すれば司会者の指示に従ってるうちに、自動的にこれらの行為を行っていくことになります。
それがいいんだと思います。
長いものに巻かれていくってことでしょうか。
まあとにかく、クリスチャンになってよかったことのイチバンは、「礼拝に行く」でした!
仔羊おばさん