さて、交際相手がクリスチャンで、しかもその所属が正統的なキリスト教会であった場合、どう考えるか?
迷わない、あるいは迷っていない方ならこのブログを読む必要はありませんね。
けど、懸念してることはあるかもしれません。
ものすごくはっきりした信仰を持ってるクリスチャンなら、交際相手にも受洗して、クリスチャンになってほしいという気持ちを持つのが自然です。
クリスチャンでない側にとっての懸念材料はたぶん、一つにはそのことだと思います。
そしてもう一つは献金の問題で、たぶんその次にやってくるのが「日曜午前をどう過ごすか」問題ではないかと推測します。
自分も信仰を持ってクリスチャンになることを選択できる方は「迷っていない」から、このブログを読む必要はありません。
ここでワタクシが「でもそんな簡単なことじゃないんだよなー」って思うのが、イエス・キリストを救い主として信じ、信仰生活に入ることはイージーに見えて、実はイージーではないことです。
実は、受洗してクリスチャンになることはごく簡単です。
だけども、自分の心にウソをついて、大して信じてもいないのに受洗してクリスチャン生活に入ったとして、教会の人間関係などで嫌なことがあったら、それを乗り越えるのは簡単なことでないので、もしかしてそういう「つまずき」があったら、結局教会生活から離れてしまうかもしれないのです。
これは、実はものすごくはっきりイエス様を信じて受洗したクリスチャンにも起こりがちなことです。
教会のメンバーや牧師や牧師婦人、宣教師や伝道師や教会の幹部スタッフは神様を信じていますが、
神様ではない
ことを今一度覚えましょう!
ワタクシは受洗し、教会生活を始めて35年以上になります。その間、少なくない方が教会を離れて行かれました。
その原因の一つは献金で、もう一つ多いのが「人間関係」です。
人間が集まれば「そりの合わないヤツ」は必ず出てきます。
「傷つけ合い」もあります。相手に傷つける意図があろうがなかろうが人とは傷つくものなのです。
あんまりやりたくない奉仕をやって、結局疲れてしまい教会を離れるケースもあります。それは人間関係じゃないけど、プロテスタントの教会は規模が小さく、頼りになる方はやることが多くなってしまってすっかり疲れ切ってしまうパターンです。
交際相手がクリスチャンで、今は熱心に教会生活を送っていても、将来的にそうなる可能性ははらんでいます。
そんな時に最後には「神への信仰」を持って対処できるかどうかです。
ワタクシほど長く教会生活が続いている者は、そのあたりいい方は悪いのですが「うまく泳いできた」面はあります。
ワタクシは
もうやだ!
この教会にはもう来たくない!
(`・ω・´)
って時に、そのSOSを表明して奉仕から外してもらったことがあります。
人間関係については、もうこれ以上親しくしたら危険!きっとぶつかる!って人とは一歩距離を置く……。
などです。
聖書に「鳩のように素直に、蛇のように賢く」という表現がありますが、人の集まりである教会生活には知恵も必要ということです。
また、残念なことですが、牧師や牧師婦人などとそりが合わない人も結構います。
プロテスタント教会は、地域にもよりますが数的には多いので、信仰を保ちつつ教会生活を継続したい場合は、他教会に行く、という選択もあります。
また、今ではオンラインで礼拝を持つ、ということもできます。
聖書に「誰でも聖霊によらなければイエスを主であると告白できない」とあります。
これはほんまに真実やなと思います。
イエスを救い主で自分の主であるって何か特別な力が働いてしか信じれないという気が
します。
まあ、そういう体験ができてから受洗したほうが納得感が高いでしょう。
しかし一方で、とりあえず受洗して、そこから求道を始めるというか、そこからキリスト教について理解を深めていくのも一つの方法ではあります。
で、交際は続けたい、または結婚はしたいけどクリスチャンにはなりたくない、と言う場合、それははっきり相手に伝えたほうがいいと思います。
もしかしてそれが二人の別れにつながるかもしれません。それはそれでしかたのないことです。辛いことですが、それほど相手にとって信仰は大事なことだということです。
私自身、洗礼を受ける直前に当時付き合っていた人から「別れるか洗礼を受けるか」と問われ、別れて洗礼を受けるほうを選択しました。
それはそれは辛かったです。
なんか駅にいてもどこにいても涙が止まりませんでした。
だけども、それこそ「聖霊により」信仰を持つと、そんな道を選んだりもするという一例です。
次に、献金の問題です。
世の中にはクリスチャンとノンクリスチャンで夫婦、というカップルはゴマンといます。
まったく珍しいことではありません。
だけども話し合ってお互いよく納得しておいたほうがいいと思います。
ワタクシも夫はノンクリスチャンです。
付き合い始めた当初から私はクリスチャンで彼はそうではありませんでした。
今に至るも同様の状態が続いています。
で、結婚当初はかなり葛藤がありました。
特に献金の問題は大事で、夫がキリスト教で最も嫌なのが「献金」でした。
夫は当初、形式的にでも洗礼を受ける気はあったようですが、献金はどうしても受け入れられないと言っていました。
夫の家族も結婚には大きい反対はしませんでしたが、クリスチャンと聞くと「全財産献金してしまうんじゃないか」と心配してたようです。
それくらいクリスチャンというと「献金」なわけですね。
(;^ω^)
で、献金についてははっきり話し合いました。
私は、私の収入(仕事してた)に関しては十一献金(十分の一を献金)したいと言いました。
で、相手の収入についてどうしようかと相談しました。
献金、嫌がってましたからね。
ところが意外にも、夫は自分の収入についても十一献金していいと同意しました。
不思議なことですね。
そんなこんなで十一献金をしてきましたが、住宅ローンも35年のところ15~16年で返しましたし、ワタクシは十一献金やその他の献金が家計を脅かすことはあまりないので安心して、と言いたいですね。
このあたりが信仰生活やクリスチャン生活のいい意味での不思議なところで、神の国と神の義を求めていれば、その他のものは添えて与えられてくるのです。
後日、夫が言っていたには、もしもクリスチャンでなくて日曜の午前教会に行かないような相手だったとして、必ず人間はそういった時間で同じくらいのお金を使うものなので、結局は献金するかほかのことに使ってしまうかどっちかだと考えたそうです。
それで、献金してもしなくても手元に残らないのには変わりがないから、献金に反対しなかったそうです。
なんか、理屈として正しいという気がします。
次には、日曜の午前の時間の過ごし方問題です。
クリスチャンは日曜日に礼拝に出かけます。
何か教会の奉仕をする信徒の場合、他の時間に教会に行くケースもあるかもしれません。
たまにキャンプに行ってみたい、旅行にも行きたい。
じゃあそんな時どうしてるかですが、ワタクシはその地域の教会に行くようにしています。
その際、日本基督教団系の教会は無難、と先日もこのブログで書きました。
今でも夫にはそういう行動はめんどくさがられています。だけども、妥協点はあるわけです。
総じてワタクシは配偶者としてクリスチャンはお勧めですけどね。
自分がクリスチャンだからですね。
だけど聖書に従って真面目に生きているクリスチャンなら浮気の心配もないし、家族や子供も愛するいい人と会えた、と思えば家庭も円満でいいんじゃないでしょうか。
まあクリスチャン擁護に終始してしまいました💦
嫌なら別れればいいだけのことですよ。
辛さはあると思いますけど、それも人生だと思います。
別に洗礼を受けていなくても神様に祈ってみてもいいですね。
何らか答えは出てくるとワタクシは思っています。
仔羊おばさん