風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

献金にまつわるエトセトラ②障碍者をサポートしている方へ もし利用者さんが教会に行っているなら

さて、前回は教会関係者に向けて書きました。

「障碍者と献金」を切り口に考えて書いたんですけど、ワタクシは障碍者が教会生活を守れるかどうかについて、あまり楽観的な見方をしていません。

だけどワタクシが知っているのは自分の教会しかありません。自分の教会を基準に考えると、障碍者理解は脆弱だと思います。ワタクシの通う教会で「障碍者」とはすなわち「身体障碍」のことであって、そういう意味では会堂はバリアフリーであると言えます。

でも精神障害や知的障害には慣れていないから、会話を直接交わすとかは難しい感じです。愛想よく挨拶するくらいですね。

一方で、特別に関心寄せて祈ってくれます。

で、同じように家族に障碍者がいる人もいて、そういう方から結構助言をいただいたり、祈りあったりでき、安心できます。だから、障碍者理解のある人も教会内にはいます。

ワタクシが「障碍者理解は脆弱」と感じているのは牧師はじめ教会の幹部的なスタッフの方々ですね。

もしかしたら信徒数が多い教会(100人越え)とか、歴史が古い(戦前からある)とか、牧師さんや教会幹部の方の家族に障碍者がいるとかなら異なり、慣れているのかもしれません。

まあ、そんなんですんで、障害を持った方がイエスを救い主として受け入れ信仰を持って洗礼を受けた後に、十一献金の袋を不用意に渡したりということが起こらないとは限らないのです。

(-_-)

 

今日は、まあ障碍者に限らず高齢者などにも適用できるかなと思うんですけど、もしも障碍者施設などで働いていて、もしお世話をしている利用者さんが教会に通ったり、洗礼を受けたり、信仰を持ったりしたときにどうしたらいいかについて書きたいと思います。

 

基本的に、ワタクシは障碍を持った方が教会から離れてしまうのが残念でなりません。

信仰は障碍者にとって、健常者と同じくらいに、いや健常者よりももっと大事だと思います。

これは深刻な病気の方や、死が遠い将来のことでない高齢者にとっても同じです。

猫 に対する画像結果

信仰を持つと、自分が死んだ後も永遠の命を得られるということに加えて、

人知をはるかに越えた心の平安

を得ることができます。

これが、障碍者にとって何よりも大切な一つのことです。

心が安らかであれば、精神的に穏やかでいられます。

ワタクシの統合失調症の息子もそうですし、教会内の知的障害を持った方もそうなんですが、信仰を持ってる障碍者は総じて穏やかです。

例えて言うなら、機動戦士ガンダムに出てくるモビルスーツも、猫型ロボット「ドラえもん」も同じように機械でできたロボットの一種ですね。

そう。

まさに、洗礼を受けて教会生活を守っている障碍者メンバーはドラえもんの穏やかさを持っています。

もちろん精神障碍者の場合は病状にも左右されるので、全く怒らない、というのではないですけど。

また、認知症のお年寄りも時々お見えになりますが、皆さま大変穏やかです。

おそらく、自分が救われているという安心感や、メンバー同士の愛あふれる人間関係に触れることができるからだと思います。

牧師さんも、関心持って祈ってくれますし、週に一回教会に来て礼拝することは、精神的な安らぎや健康に有用だと思います。

だから、もしも利用者さんが信仰を持たれたら、ある意味安心してもらっていいと思います。

 

でもです。

 

献金のことは懸念材料になりますよね。

ワタクシは個人的に障碍者は当初献金なんかしなくてもいいし、その後献金がしたい気持ちになったとしても、将来のためまた老後のため、計画的な経済生活は大事で、金銭管理は慎重にすることが大事だと思っています。もしも知的、精神的に障害があって、判断力が心もとない場合、教会で献金してるとか聞くと、心配でしょうがなくなると想像します。

そんな時は、まずはその教会の牧師さんなり会計係の方なりと、サポート側の方が、しっかり話し合って、献金をどうするか明確にしたほうがいいんじゃないでしょうか。

まず、教会の牧師は日曜日は忙しくて時間のないことが多いので、平日に牧師に時間をとってもらい、時間の約束をして、施設に来てもらうか、あるいはスタッフが教会に出向くかして、献金をどうするか納得いくように話し合うのがよいと思います。そこで牧師にも障碍者理解を深めてもらうことはいいことだし、教会のほうでも何かあった時連絡できるように連携がとれたら安心というものです。地震なんかもいつ起きるかわかりませんし。

このブログでも書きましたが、牧師なりクリスチャンは「献金の恵み」みたいなものを体験してることが多いです。

だから、席上献金や十一献金について、たとえ障碍者であってもやったらいいんじゃないかと考えてるのが普通です。

まあ、そういうのを愚直に信じることができるのが聖職者というもんです。

ワタクシこと仔羊おばさんのように、「斜めから見る」とか「けち臭く生きる」なーんて不信仰なことはせんのです。

でも一方で、もしかしたら障碍者の生活がいかに苦しいものであるかをわかってない可能性もあります。

「献金一切させないでください」と言ったっていいと思います。そうでないとサポートする側としては安心できない、信頼できないと伝えたらいいです。本人がそれでもどうしても献金したい、と思うなら、別に災害の被災者のために寄付してもいいだろうし、席上献金は50円までとか100円までとか、本人に言いきかせておく方法もあります。

 

もしも牧師や会計係の信徒が「いやどうしても十一献金してもらう」と言うなら、もうそんなだったら、別にその教会に行かなくてもいいかなとワタクシは思います。ほかの教会を探してもいいし、今はYouTubeで礼拝のライブ配信をしてる教会もあります。日曜にそういうものを見て、祈るという方法もありますからね。

 

いずれにせよ、教会には善意の人も多いし、信仰生活を守ることは障碍者にとって、精神的な安定に大きく寄与することですから、ぜひとも続けさせてあげてほしいです。

<(_ _)>

 

仔羊おばさん