聖書は、働くことについてはおおむね肯定的というか、生活の厳しい時代背景を感じさせる記載が多く、基本働いてない人はいないし、病気やなんかで働けない人が悲惨な生活をしている印象がある。
だけど、「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」という聖句があるように、制限なく働いたり、土地を休ませなかったりすることに対して厳に戒めている気もする。
「放蕩」という意味での遊びについては非常に否定的であるといえる。
だけど、ちょっと休息する、というのは度々新約聖書でも見られる。
どこかの場所へ行っては休み、行っては休みしていたのかなと思う。
休んでいるとき、祈っていたのかな。
仔羊おばさん