風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

クリスチャン人生が長くなれば「クリスマス」の意味が変わる?

例えば小説でも映画でも、読んだり見たりする時の年齢や経験によって、読後感や感動の度合いが変わってしまうことってあります。

ワタクシでいえば、小説ならドストエフスキーの「罪と罰」などはそうで、あまりものを知らなかった中学・高校時代には作品の中核となるところには反応できず、ただ、海外旅行に出たのと一緒で、小説内に描かれている部屋の調度品や町の風景、彼らが着ている服だとか、そういうものをちょっと覗いてみた、みたいな気分でした。

二十歳を超えて読んだときには、その時初めて「罪」とか「罰」とか考えましたし、小説の背景とかもっと分からないと本質は読めないなとか思ったりしました。

まだまだどっか、雰囲気を楽しんだに過ぎず、主人公のラスコーリニコフに対して

えーそんなことで悩まんでもええやん?

のように、やはりラスコーリニコフと当時のワタクシは同年代ですからね、なんか友人がそんなことで悩んでたら、きっとワタクシはそんな的外れなことを言っていたでしょうね。

( 一一)

 

長年の職業経験を経て、50代後半で読んだ時には、

事実文:金貸しの老婆をラスコーリニコフが殺害した。

その1行、たった1行をこれだけの人物、その対比、場面、主人公の視点や思考、体調までも含めて、また、ラストのほうシベリヤでラスコーリニコフが見たものを通して描き切っているところに深く感じ入りました。

初めて、ある種の「感動」の域に突入できたと言えます。

まあ、そういう風に、作品は一言一句、翻訳の違いはあるにしても変わっていないのに、読み手が変われば作品の様相が変わってしまうことはよくあります。

また、優れた文学というものは様々な面を持っていて、こちらが光を当てる場所を変えると、異なる輝きを見せる、ということなのかもしれません。

 

さて、ワタクシは洗礼を受けて35年以上経つ古参のクリスチャンなのですが、今年、何を思ったか、

クリスマスって何やろう?

と、改めて思ったのです。

クリスチャンになる前は、クリスマスは「ケーキを食べる日」であり、プレゼント交換あるいはプレゼントをもらえる、あるいはプレゼントを贈る日でありました。

サンタさんのエピソードがそれに花を添えるわけで、ファンタジー要素もあり、また楽しげだったりメロディアスだったりするクリスマスソングの数々。

それが洗礼を受ける前のクリスマスでした。

 

洗礼を受けたら、「教会のクリスマスが、これ本物のクリスマス!」という価値観になりました。

クリスマスの本家本元なんだもん。

牧師さんやその他の教会でメッセージを語る方もおっしゃるもん。

本当のクリスマスは、私たちの罪を背負い、代わりに死んでくださったイエス様のご降誕をお祝いする日。

世間の人は、その「本物のクリスマス」を知らない……云々

ワタクシも長年、その価値観で生きていました。

とはいえです。

クリスマスが、すなわちイエス様がお生まれになったのは本当に12月25日なのか?

という質問に対し、誰でもがそれは根拠のない嘘だ、と知っています。

実際、教会では25日周辺の日曜に「クリスマス礼拝」を持ちます。

ワタクシの教会でも次の日曜がそれにあたります。もともと絶対的に25日ではない、とわかっているからこそ、教会の「クリスマス礼拝」の日付は毎年変わるのです。

また、12月には子供のクリスマス、とか女性会のクリスマス会とか行われます。

まあなんつーか、パーティー+牧師さんのメッセージ+献金+クリスマスっぽいインテリアデコレーション付き、みたいなイメージです。

クリスマス会 に対する画像結果

会食部分と礼拝部分が合体したみたいなことを教会のメンバーでやります。

友人や家族を招くことも歓迎されます。

それも「絶対この日」というのはなく、各教会でばらばらに決めています。

内容もそうですね。

ケーキ食うんか?

という疑問に対しては、「食う教会もあれば食わない教会もある」が答えになりますかね。

でも、宣教師を通じての文化移入の影響か、洋菓子(!)=ケーキとかスイーツを手作りでやる姉妹が多いため、そういう手作りスイーツや手作りの凝った料理を一緒に食ったりすることもあります。

 

ワタクシは糖尿病にかかって以来、どーもそういうのは罪悪感なしには楽しめなくなってしまい、あんまり

わー💛

みたいな気分になることが少なくなってしまいました。

 

あと、クリスマスは宣教の(伝道の)よいチャンス、と教会でとらえています。

でも、過去ワタクシの35年以上の経験に照らし、クリスマスをきっかけに教会に訪れた方が、後々洗礼を受けるとかはあんまりないと思います。

結局、洗礼につながる=イエス様を個人的な救い主として信じる、っていうのは精霊の働きによるのであり、「クリスマスだから本場の教会に行こう」と考える発想とは似て非なるものなのでしょうね。

するとさあ。

 

なんだか、今年に限っては、ワタクシの脳裏にふと、

クリスマスって何やろう?

(。´・ω・)?

と……。

一周回って、考え始めることになっちゃいました。

まさに、「クリスマス」がまた別の顔をもってワタクシの方を振り返ってきたみたいな感じです。

 

クリスマスはお祭りなんです、きっと。

だけどこの時期、働いてる兄弟姉妹はやたら忙しいし、日本には「正月」という

親戚一同集まります

みたいな行事も控えている。

これがクリスマスに集約されている欧米(?)とは違うファクターもあり、日本のクリスチャンはなかなかにしんどい。

 

うーん。

( ̄ー ̄)

家族でケーキを食べる。

家族でプレゼント交換をする。

 

その行事も、大抵の家族でやってるだろうし。

 

クリスチャンの皆様におかれましては、体調を崩さぬよう、この季節、

ご自愛ください。

<(_ _)>

 

今年度の結論はこんな感じかな。

 

仔羊おばさん