世の中にはいろんな人がいる。
私は、日本では少数派のクリスチャン。
日曜に礼拝に行くのが1週間の楽しみになっている。
では、礼拝の何が素敵なのかというと、それは具体的には、今は何もない。
独身の頃は、聖書の話も新鮮で、賛美の歌も歌えること自体楽しかったし、聖歌も好きだったし、同じような独身の兄弟姉妹との時間も楽しかった。
まあいや、楽しいことずくめだった。
子どもが小さい時とかは、同じような年齢の子供も教会にいて、行くのがなんか自然だったし、充実した教会生活を送っていた。
私が大変さを初めて感じたのは、その頃、日曜学校の教師を務めたことからだ。
いやーあれは大変だった。
ものすごく自分はそれが向いてなかったんだと思う。
それでも神様からの使命と受け止めて、やるにはやった。
日曜学校の時間、非常に苦痛で真っ暗な気持ちに陥るようになった。すぐに辞めればよかったけど、そもそも、誰もやる人がいないから、私に声がかかったので、そうそう辞められもしなかった。
それでも礼拝に出るのはうれしいことだから、ずっと礼拝は行っていた。
その後なんとか日曜学校の先生は辞めることができて、ちょっとほっとしたんだけど、その頃、子供たちも家を離れたり、自分も更年期になったり、なんか人生が転換期を迎えた。
仲良くしてた姉妹とかも別の教会に行くようになったりして、今は教会に仲良くする姉妹はいない。
それでも礼拝は神様の言葉を聞く、聖書を読む、賛美をする、というようなことを通して、私は希望を見てるのだと思う。
仔羊おばさん