人生、決断に迷うことは多々ある。
就活
結婚
出産
転職
病院どうするか
誰と付き合うか
同窓会行くか行かないか
…
そんな時、クリスチャンはよく言う。
「祈って決める」
私自身、特に転職はよくしてきてるので、この「祈って決める」がいかにしんどいかよくわかる。
たまーーーに神様は、全く迷う余地もないほどはっきり答えをくれる。
答えは、聖書の中にあることもある。
教会のメッセージで語られることもある。
夢で答えを得たり、どっかから声が聞こえるとか、何かの確信が突然自分の中に浮かんでくることとか。
私は、今の職場への転職は、面接に行った日、とにかくすんごい強い風が吹いていて、言葉にはできないが、すごく運命が動くのを感じた。
そのフィーリングは何とも言えない。
だから神がいるとかいないとかは、クリスチャンじゃない人にとっては雲をつかむような話で、リアリティーがないんでしょうね。
私には、「何かを感じた」ことは忘れられないけど。
さて、ここで写真を
かわいいプーさんの写真が撮れました。
思うに、こういう写真を撮る、撮らないというようなどっちでもいいことは祈るも何も写真を撮る、という決断には躊躇もないワケです。
同様に、食うや食わずで「お金がない~~!」となってたら、とにかく仕事を求めるので、祈るもくそも(失礼!)ないはずです。
つまり、せっぱつまった時って、それについては祈るけど、仕事の種類がどーのこーのは二の次の問題です。
「仕事が与えられますように」って祈るけど、その仕事に条件をつけようがないほどせっぱつまってたら、どんな仕事でも与えられたら「感謝!」ってなる。
だから、「迷う」ってことは実は、「どっちの道を行ってもいいこと」か「どっちの道を選ぶかを神様は見てる」のかもしれませんね。
ならばできる限り賢い選択をすればいいだけなんだと思います。
「絶対こっち」
ってことなら、きっと神様は教えてくれるんじゃないかな?
それでも、私自身、過去の決断で後悔してるものも結構あります。
祈りの答えもないまま、勝手に動いちゃったりしてるんです。
人とは愚かなもの
でもその愚かさが私たちの人生を面白くする。
悲劇も喜劇も生む。
さあさあ出勤だ!
仔羊おばさん