先週は、大阪で3歳の子供がやけどで亡くなりました。虐待死とみられています。
このニュースです。
犯人とみられる男性は、お風呂(シャワー)の温度を上げていく遊びをしていたと言っているそうです。
それを聞いて、本当に素直に「子どもとの遊びでそんなこと思いつかない!」と私は憤っていました。
普通「子供と遊ぶ」なら、お馬さんになって背中に子供を乗せてあげるとか
「げんこつ山のたぬきさん」とかでしょう!
でも、その次に「はた!」と考えたのです。
この容疑者も、もしかしたらこの「温度を上げていく」ということを
されたことがある
または
人がそうしているのを見たことがある
のかもしれない……
( ̄ー ̄)
もしそうだとしたら。
この容疑者の人こそが生育段階で守られていなかった可能性もある。
本当に救いを必要としていたのは、桜利斗ちゃんもだが、この容疑者もだったのかもしれない。
もちろんだからといって、もう23歳にもなっていれば「弱い者を守る」意識は持っていてしかるべきで、3歳の子供を殺していいわけではない。
役所は子供の声なき声を聞いて助けてほしい。
でも、親にも助けが必要だったのではないかと思う。
聖書に次のような話がある。
律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れてきて、真ん中に置いてから、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい。」
そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」
彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
私は何も桜利斗ちゃんを殺した容疑者を無罪にすべきだと言っているのではありません。ただ、加害者にも同情すべき環境があった可能性もあるので、ただただ責めてその罪を問うだけではなく、防止の観点からどうするのが一番よかったかを考えることが大事だと言いたいです。
仔羊おばさん