私だけでなく、「渇望」と呼べるものを持っている人は少なくないはずだ。
ある人は仕事と収入、生きていけること。
ある人は人生が新しくなること。
ある人は人間関係が改善すること。
ある人はエンドレスに思える人生の苦しみから解放されること。
私にも経験あります!
なんか、苦しみがエンドレスに続く毎日を送っていると、どうしようもなく感じられ、祈れども祈れども辛くて、気持ちが暗くなってしまう。
若い時は、辛い毎日でも感謝できたのに、更年期の肉体の限界なのか自分の罪ゆえか、それとも神の御心なのか、ともかく気持ちが暗くなっていく。
(>_<)
不信仰なのかと思うと、ますます暗い。
もしかしてクリスチャンでなければ意外とあっけらかんと過ごせるのかもしれない。
だけどもしかしてクリスチャンでなければ、とっくに行き詰って自殺してたかもしれない。
それは、わからない。とにかく、辛いことは人生で起きてくる。
私は今、下の子の統合失調症が回復することを願う。
上の子が信仰に立ち返ることを願う。
夫、母、兄弟が救われることを願う。
自分のことなら、夢が叶うことを願う。
願いはいっぱいある。
自分は今、時間を渇望する!
時間がほしい。
お金も実際必要だ。
渇望しているのは抽象的に言えば、やはり救いなのだ。
お金も時間も家族の救いも病気からの回復も「救い」だ。
聖書の言葉
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。
ルカによる福音書11:9
仔羊おばさん