ワタクシはプロテスタント教会会員となって約30年、現役です。
安倍元首相の銃撃事件以降、旧統一教会の高額献金、また霊感商法について報道などが盛んにされています。
旧統一教会と正統なプロテスタント教会は教義が異なるのですが、共通する考え方もあります。
それで、献金についてブログで書いてみようと思い、今回はその8回目です。
・特別献金
の3種類あります。
そのうちの「特別献金」について今回は補足を書きたい。
合わせて、「こういうことに気づいてほしい」とワタクシが強く思うことを今回は書きたい。
特別献金をわかりやすく説明しようと思った時、
「返礼品のないクラウドファンディング」
と書けばわかりやすいかなあ……
( ̄ー ̄)
と思ったんですが
いやいやそれは違う!
(; ・`д・´)
と、強く、強ーーく思った次第。
何が違うのか?
順番が違うんです、順番が!
「教会で献金をする」という土壌があって、その土壌で生活している人々の文化から、「クラウドファンディング」というものが生まれたと見るのが、正しいものの見方なんじゃないかとワタクシは思うんです。
ちょっと献金の種類は違いますが
「母を訪ねて三千里」のマルコ少年をアルゼンチンの酒場で同じイタリア人の同胞のおじさんたちが帽子にお金を集めてマルコにあげる、という心温まるエピソードが出てきますね。
あれなんて完全に「席上献金」ですよ!
例えばクラウドファンディングのようなやり方はいいやり方だし、それを生み出したキリスト教的な価値観や献金行為についてもっと評価され、少なくともリスペクトしてもらっていいんじゃないかと思います。
そういう側面に気づいてほしいんです。
少なくない方が「献金」というとそんなものはしないほうがいい、そんなものは詐欺まがいの行為だと受け止めていることがワタクシは悲しい。
「献金」という行為が自然にできることから赤十字への寄付や災害に遭った方への救済金、また「年末助け合い」などの募金に自然に移行していけるという側面もあるので、そのあたりキリスト教や教会がはぐくんできた「他者への思いやり文化」の一つとしてこの「特別献金」が使われることを気づいてほしいです。
もうちょっとキリスト教に対しリスペクトがあってもいいんじゃないでしょうか。
キリスト教会でも、超教派の大きい集会の献金タイムなどでは、やはり献金をあおるといいますか、強く勧める司会者の言葉などもあります(ありました)。
最近はコロナ禍でそういう大きい集会はなく、オンラインになっているし、ワタクシの教会でも献金のお勧めが非常にマイルドになっています。
でも、そんなんでいいのかなと思うこともあります。
献金というのは信仰の道で考えると「献身」ということだとワタクシは思います。
必ずしも教会に対する献身を指すのではなく
神様に対して
イエス様に対して
そして
隣人に対する献身です。
それがクラウドファンディングを求める人、支える人の本来の原動力だということも言いたい。
仔羊おばさん