コロナ禍で大きく変わったことは、緊急事態宣言時には教会の礼拝がオンラインになったことです。
もう一つは、礼拝後の教会での食事がなくなったこと。
私の通う教会は、昼御飯は結構御馳走でしたので、皆とても楽しみにしていました。
大人は300円で、子供は100円で食べてました。
作るのはメンバーの女性が多かったですが、たまに男性メンバーも腕をふるってくれていました。
初めて礼拝に来た方は無料で食べてもらってました。
そういう楽しい時間がなくなったのは寂しいことでもあります。
もう一つ、この10年で看過できない変化があります。
それは、伝道がこの10年で完全に停滞したことです。
私は、オウム真理教の起こした事件で、日本における「宗教」は
1.墓参り
2.御朱印帳ツアー
以外は「避けるべきもの」になっているのではないかと思う。
子どもに公園で伝道することも今やできないし、学校前でトラクトを配るのももう無理だ。あれもダメ、これもダメなのだ。
私の教会のメッセージは、変わらず「何があっても伝道しましょう」である。
聖書にもそう書いてある。
しかし、今大抵の企業に就職する際の誓約には「宗教勧誘はしない」の一文がある。
どのクリスチャンもその約束を飲み込んで就職していると思う。
そうでなければ、あえて就職しない、とか。就職しないで生活できるような恵まれた状況にいれば、の話だが。
で、宣教はSNSを主として行うことになる、たぶん。
かく言うこのワタクシのブログも、その中の一つである。
また、「宗教勧誘を行わない」のを企業に勤める者が望んでいたとしても、人が本当に支えを必要とするとき、神を求めずにはいられないだろうし、「救いがほしい」気持ちは自然に湧き上がってくるものだ。
また、口で職場の同僚や上司を教会に誘わなかったにしても、クリスチャンの祈りを妨げてしまうことはできない。
そして、救われたクリスチャンの人生はやはり、そうでない人より祝福を多く受けていると思う。
自分の人生でも、精神疾患にかかったワタクシの子供も、神を信じ神に祈ることで平安を得、それがひいては回復などに影響している。
ただ全く教会に導かれる人がいなくなったりはしていない。
最近は、自分の人生のエンディングにキリスト教を選んで来たらしい方はいるし、ぽつっ、ぽつっと自分から来会される方はいる。
伝道には難しい時代だけど、神様の力はちゃんと見ることができる。
それについては感謝やな。
( ̄ー ̄)
仔羊おばさん