風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

「宗教二世」など想像もつかないのだけど

ワタクシ自身は、そう信仰にあつくもない仏教徒の両親のもと、生まれ育ちました。

そう信仰にあつくもない家庭でしたので、墓参りやどっかに遊びに行った時に神社に参拝したりとかはありましたけど、初詣とかはあんまり経験がありません。

でもなんか、小さい時から「天の神様」みたいな存在を感じたりはしていました。

「苦しい時の神頼み」とかはありましたね。

 

そんなワタクシですから「宗教二世」の方々の気持ちなど正直、想像もつきません。

 

一方、ワタクシはクリスチャンですから「両親ともにクリスチャンです」って家庭は羨ましくってしかたがありません。

大草原の小さな家」みたく祈って、聖書読んで、日曜に教会、なんてすごくないですか?

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で、ワタクシは24歳で洗礼を受けて後はそんなクリスチャンホームに憧れ、それを目指して人生を生きてきました。

でも夫はクリスチャンではなかった。

夫婦で祈る、とかは無理でしたから「せめて子供だけでも」と思って祈って、教会に行って育ててきました。

でも長男は高校から教会に行かなくなったし、大学時代は「もう信じられへんし」みたいなLINEをワタクシに送ってきて、それ以来行っていないし、妻になったかたもクリスチャンではなかった。

次男は、病状さえよければ教会には行ってますが、自分で聖書を読んだりとかはしないし、たぶんお祈りとかも毎日する習慣はついてないと思います。

ワタクシはまあ「孤立したクリスチャン」ですね。

お見事にクリスチャンホーム形成に失敗。

(>_<)

ダメクリ(ダメなクリスチャン)ですわ。

そんなワタクシからしたら、代々続いたクリスチャンの家庭とかは憧れでしかありません。

宗教二世問題はテレビで見るにつけ、それなりに大変やなと思ったりはしますけど、ノンクリスチャンの親って、それなりに不道徳だったり暴力的だったりもするから、そういう目には遭ってないってことは宗教二世の方々にもラッキーな面はあっただろうというのがワタクシの正直な感想です。

一方で、ワタクシの両親なんかはカネ中心的な価値観は結構持っていました。

カネ稼ぎにどん欲だし、それを使って楽しむ、というのも(父だったら飲みに行くとか、母だったら貴金属買うとか)よくしてました。

おもちゃもよく買ってもらいました。

そんなだからか、クリスチャンになってもどケチで稼ぐことに意欲的、ムダ金は使わない、みたいなところは強いです。

ワタクシの子どもなんか見てると、節約に関しては豊かな時代に育った彼らはちょっと甘いかなと感じることがあります。

きっとワタクシみたいな献金(十一献金とか)ってようせんやろな(することは難しいだろう)と思います。

 

まあ、そんなこんなで学費にも事欠くとかはさすがに経験がないから、宗教二世の方々には「ラッキーな面も否定はできないだろうけどお困りの度合いも半端ないな」というところでしょうか。

 

世界平和統一家庭連合については高額献金

エホバの証人については輸血問題とむち打ちの教育、が主な問題になってくるでしょうか?

実はそれらの点を改めればよいだけの話なのかなと。

ワタクシの子供のように二世でも別に信仰持ってない人はいっぱいいますから、嫌なら教会などにいかなければいいかな、とも。

これもですねえ、「親に遠慮して信仰心なんか大して持ってないけど付き合いで教会には通ってる。でも苦痛」とか伺うと、正直言って「私の子供もそれくらい遠慮して苦痛でも我慢して私に付き合って一緒に礼拝行ってくれたらいいのになあ。ええなあそんな子」って感じです。

( ̄ー ̄)

ないものねだりです。

 

「宗教の名のもとに行われる身体虐待」

むち打ちとかがそれにあたるでしょうか。

実はワタクシの行っている教会でも、かなり長く体罰は奨励あるいは容認されていました。

キリスト教プロテスタントの教会です。

「子どもが悪いことをしたらお尻をたたく」というものです。

ここ20年くらいは時勢にかんがみ、それが語られることはなくなりました。聖書にあるんですね。「むちを使って子供を教える」という記載が。

すみません。聖書のどこだったか、また正確な文言は何かとか、覚えていないのですけど、ともかく聖書の時代はそういう教育は容認されていたし、勧められていたということです。

2000年くらい前ね。

とはいえ最近のキリスト教教会でそれが奨励されてるとは思いませんし、許容することもまずないと思います。

少なくともワタクシの教会ではそうです。

 

ただ、テレビで宗教二世の方が音楽で、この「むち打ち」を批判して歌っておられたのですが、ワタクシのような60代の者からすると、そういうのは若干違和感もあります。

なぜなら、ワタクシのような昭和世代、それも昔になればなるほど体罰教育は受けてきているからです。

でも、だからといってそれをしてきた教師や親たちを今、責めるのはちょっと違うなと思うのです。

例えばワタクシは2~3歳の頃、真っ暗なトイレ(便所)や押し入れに罰で閉じ込められたことが何度もあります。

お尻を叩かれたことは何度でもあると思う。

学校でも板間の教室で正座させられたり、当時は先生にげんこつくらうことがあっても誰も何にも思ってませんでした。

だけども、今、高齢になり余生を送っているワタクシの母に「お前はしつけの名のもとに虐待したろう」と責めるのはちょっと違うのかなと思うのです。

母は当時のしつけ観で「これが子育てとしてよい」と信じてやったワケで。

まあ、度合いにもよるんでしょうけど。

確かに「むち打ち」ひどく痛そうだし……。

周りが「しつけに体罰無用」という価値観でやっていってる時に、自分ちだけ体罰アリなんて、辛さが倍ですもんね。

 

そんなこんな「宗教二世」問題にもいろんな見方はあるということをちょっと書いて見たくて書いてみました。

 

不愉快な思いをされたらごめんなさい。

 

仔羊おばさん