安倍元首相を撃った犯人の母親が統一教会会員だったことが報道され、
教会で(キリスト教プロテスタントの教会・もとはスウェーデンの宣教団体が設立した。今は日本の宗教法人)、十一献金などをしている身としては
そうじゃない!
そうじゃないんだよおおお!
と、言いたい部分もあるし、
でも、これは「いい」し、これも「いい」と考えてるでしょ
と、言いたいこともあるんですよ。
で、渾身の力をこめて書いています。
するとえらい長くなってしまい、結局なかなかアップロードできません。
あと2週間くらいかかりそうです。
書いてるうちに信仰の神髄に自分としては到達しまして、
それは
信じているのは
三位一体の神
教会ではない。
教派でもない。
牧師ではない。牧師は人間。
教団でもない。
というところです。
人間の作った団体は信仰の対象ではないということです。
献金を奉げる先も、あくまで三位一体の神であればよいのではないでしょうか?
それが時には教会であったり、世界的な飢餓や教育に取り組んでいる機構であったりしていいのだというのがワタクシが神様から教わっていることです。
あるいは、隣人を助けるために使ってもいい。
「愛」の行為が大事なのであって。
教会は確かに献金が必要。
ないと存続できないから。
そこもシビアに見ないといけない。教会を支えるのは教会員だから。
だけどもそこに「愛」がないなら、どうなんですか?
教会員一人一人に対する愛が本当にあれば、
と……。
仔羊おばさん