このシリーズを書いてみて、本当によかったと思っている。
ワタクシは入信して、もう35年以上になる現役プロテスタント・キリスト教会会員だ。
いわゆる「クリスチャン」である。
書いてみてよかったことの一つは
カルトとはなんぞや?
という、そうじゃない正統的なキリスト教と何が違うのかということを知れました。
これは、NHKでやっていた「徹底討論!問われる宗教とカルト」を拝見して、ものすごく深い納得がありました。
書籍も出ています。
様々な背景の宗教者、また宗教学者の討論を通じ、仏教などとの比較もできて勉強になりました。
今回のこの番組によるカルトと伝統宗教との違いを、ワタクシなりに超短い言葉でまとめると、
1.脅しの有無
2.詐欺的行為の有無
3.拘束の有無
の3点になります。
高額の献金などは2の「詐欺的行為」にかかりますが、もしもそれが「たたり」であるとか、「献金しないと天国に行けない」あるいは「地獄に落ちる」とか「もう亡くなってしまった親族が成仏できない」とかいう理由だと、1の「脅し」にかかってきます。
先日、朝日新聞で特集記事がありました。
その名も「飢餓カルト」
ケニアで実際にあったキリスト教系のカルトです。断食をして餓死すればキリストに会える。そう説いたらしい。
ワタクシもクリスチャンの端くれですが、ケニアと言うと(伝統あるいは既存)キリスト教の素地はある地域です。
そんなところでなぜ?
(。´・ω・)?
と、誰もが感じる異常な事態ではないかと思います。
下記、一応リンクを貼っておきますが、記事全ては購読しないと読めないみたいです。
「飢えればキリストに会える」 カルト教団のメンバーら89人死亡か:朝日新聞デジタル (asahi.com)
この記事を読んで思ったんです。
「自分はまともな宗派のクリスチャンだ」と思っていてもカルトにはまることがあるんだ、と。
まずは「過酷な現実問題」がある。何が「過酷」に当たるかは人により違います。
ある人は「食べるのに困ってないのに悩みを抱えるのは贅沢だ」と考える方もいらっしゃるでしょうが、いかに衣食足っていても深刻に悩み苦しむ人もいる。
本人が「過酷」と感じれば、それは「過酷な現実」ということになる。
生きてる限り、人はなにがしか「過酷な現実」に向き合うことはあるということだと思います。
次に、カリスマを持った(?)指導者の存在。
宗教は人に救いを与えてくれるものですが、ただそれだけでは爆発的な信者の増加や、飢餓に至っても信じ続けるほどのエネルギーを生んだりはしないんじゃないでしょうか?
宗教に限りませんが「カリスマ」は存在すると考えます。
例えば松下幸之助や稲盛和夫、例えばスティーブ・ジョブズなどの経営者にも「カリスマ」を感じます。
いわゆる「すぐれたリーダー」にはある種のカリスマ性があるような印象があります。
しかし、それが宗教指導者であった場合、少し怖いことになる。
もしかしたら世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の開祖・文鮮明氏もそういったカリスマの持ち主だった可能性はあります。
私はクリスチャンです。
価値観において神様第一、イエス様第一と思っていますよ。
だけど正直に言って、松下幸之助さんのおっしゃった言葉を聞き、その功績に目を向ける時、素直に感動します。
いち関西人として、松下幸之助氏や稲盛和夫氏のような、関西に本拠を置く企業の存在は誇りでもあります。安藤百福さんもそうですね。
「カリスマ」性を持った方はそんな風に強い魅力をお持ちです。
上記の「飢餓カルト」記事を読み、ワタクシが思ったことは、正直、
牧師はへぼいくらいの方がええんやなあ……。
でした。
信者が爆発的に増える(クリスチャン用語で「リバイバルが起きる」)ことはないかもしれん。
次から次へと奇跡が教会内で起きることはないかもしれん。
もしかして礼拝のメッセージはだるくて眠い……。
もしかしてメッセージの内容はあんまり頭に残らないかも……。
カリスマ性を持った人というのは、いとも簡単に人を魅了することができる。
って考えると……。
平凡ないち信徒としては、カリスマに魅かれたあげく、飢え死にとかはごめんこうむりたい。
けど、そんな強さは持ち合わせていないから、
宗教指導者(牧師など)は
へぼい(さして優秀でない)ほうが安心安全なのではないか
というのが……。
今回の結論でございます!
教会選択の際は、ご参考ください(半分冗談です)。
(`・ω・´)ゞ
仔羊おばさん